ブログの意義

今日も自身のPTA活動としての一貫として、わくチャレの情報交換会をやったのであるが、同じ班の中に私のブログを見ていらっしゃるPTA会長さんがいらっしゃった。

このところこのような席で分科会や班分けをした中に、必ずと言っていいほど私のブログを読んでいただいているというのは、情報発信をしている中で正解だと感じる次第である。
もう一つの教育に関するブログについては保護者に語りかけるため基本的に「です・ます」調でかいており、情報を発信する目的を持ったこちらのブログと政治などに関するものに関しては紋切り型で書いているわけであるが、それぞれに意味を持っているつもりである。

さて、その会長さんもサッカーを教えていらっしゃるとのことで、柴又キッズさんの方であった。
私としては楽しむサッカーの仲で保護者の方が参加されているものを否定するつもりは一切ない。
ただサッカーをその後どこまでやるかという部分などを踏まえ、サッカーへの取り組みをどうするのかでチームや指導者のことを考えていく必要があると思っている。
それこそいろいろなチームがあって当たり前であるし、私達のように構えてやっていくこともあっていいのだと思っている。

高木と私の中で共通しているのは、子供たちが将来サッカーだけではなく何かを行うときにも、それに見合った努力をすることを覚えて言ってほしいと考えている。
それがたまたま私達にとって伝えられる最大のものはサッカーであり、サッカーを私達のチーム、スクールに在籍している子供へ伝えたいというものなのである。
将来的には大きなものを見なければならないのであるが、足下を見ると間違いなくそこにいる子供たちであり、精一杯伝える努力をしていこうと思う。

そしてブログの意義の中には例えば、昨年の葛飾区連盟の社会人リーグで審判のスキル不足による試合があれたことや、一度連盟で決定したはずの二部、三部リーグの運営不手際によるリーグ戦の中止などへの問題喚起が含まれてもいる。
これについては否定的な意見はなかったのであるが、葛飾区社会人連盟が実際にリーグを行うことができなかったのは事実であり、リーグ戦を楽しみにしていた選手達にとっては全く以って残念なできごととなった。
審判に対するスキル不足もそうである。
さんざん暴言を続ける選手、チームが葛飾から絶えないのは、はっきり審判のスキルが不足しているからである。

審判を罰ゲーム程度にしか捉えていないからこそ適切なジャッジができないわけであるし、問題を大きくしたくないから暴言などに反応をしないのである。
アマチュアのそれこそ都道府県一部や二部でやっているのであれば、審判は持ち回りではなくなるのだが、市区町村や東京都でいう三部、四部は持ち回りであり、選手の中から当然審判を出さなければならないのは当たり前である。
しかし自分達がいざ試合となったときに、自分が審判に対しての意識がないのに、審判に対して暴言やクレームをつけたりする。

そういう意味で私は傘下の各クラブに対して審判資格をとりましょうと言っているのであり、自分がされて困るようなジャッジを自分でするということがどういうことか考えてもらいたいこと、審判の目から見たゲームとはどのように映るのか、そしてどう考えるのかといったところを意識してもらいたいと感じるからである。
持ち回りであまりにもいい加減なジャッジに怒った選手達もいるであろうが、では自身は審判としてやったことはあるのか、やる時の心構えはどうなのだと再確認していただきたい。

ちなみに私はブログをご覧の方はご存知であろうが、東京都協会のアクティブレフェリーであり、FC町田ゼルビアユースの帯同審判もさせていただいている。
では審判だけが好きなのかといえばそうではなく、そもそもはゲームをするためにチームの中で審判資格を持った者が六名以上必要だったことがはじまりであり、そして持ち回り審判のことを考えたときにせめて自分の審判を勤める試合では選手が心地よくやってほしい・・・ひいては自分のゲームもそうあってほしい・・・と考え、審判としてのスキルアップを目指したのである。
昨年一度だけ言った言葉があるのだが「私は審判のためだけに今日は呼ばれたの?」というものだが、私は審判だけをするためにサッカーをしているのではないということは明確にしておきたい。

ただしそんじょそこらの審判とは意識が違うよとは思っている。

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