Jリーグと欧州トップリーグを比較するのは間違い

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よくJリーグが英国プレミアリーグやブンデスリーガ、リーガエスパニョールに比較してつまらないと言う人がいる。

そんなのは、プレーの質を考えれば当たり前のことである。

日本のJリーグにいるのは、日本代表経験者が50名くらいと韓国、朝鮮代表、あとは少しばかりの欧州中位クラスの代表しか存在しない。

日本代表のトップクラスでさえ欧州トップリーグに所属している。

つまり、実力差は明らかだということ。

そこと比べること事態が馬鹿げているのである。

そのくせ、飲んだら日本代表を応援しているだの、これこらの代表はこうしなきゃならないだの言っているというのに、「Jはレベルが低いから見に行く価値がない」とか言う。

こう言う人たちにいつも思うのは、本当に日本代表を応援するのであれば、まずは国内リーグの底上げをしろと日本サッカー協会に訴えるべきだし、Jリーグのため試合会場に足を運ぶべきだと思う。

それだけ目が肥えているというのなら、日本代表に足りないものを明確に、選手やフロントにとどけてみたら?とも思う。

多分、Jリーグは世界的に見て戦力差が極めて少ないリーグであり、代表の戦力から考えれば、ACLで勝てないのは突出したチームがないからというのと、大金で弱体化したとはいえブラジル代表クラスを呼ぶことをしている、各国の金満チームに叶わないというのが実態だろう。

では、強化の手段としては何があるかと言えば、私はアフリカや南米の代表クラスを呼ぶことと、代表クラスになる前の選手を青田買いし、欧州に売りつけることをするべきだと思う。

その良い例がパトリック・エムボマだったりフッキ(ウルクまたはハルク)であった。

エムボマは欧州などで引退間近の選手などを呼んでいたJリーグでは、異色の選手であったし、その後の活躍も素晴らしかった。

なのに、なぜかJリーグはアフリカに目を向けようとしない。

同じく、東南アジアの代表トップクラスをなぜ呼ばないのか不思議である。

海外にコンテンツを売ることを真剣に考えるのであれば、経済成長著しい東南アジアに目を向け、トップクラスの選手を入れ、若手をレンタルに出すなどの商売をするべき。

アルビレックスはシンガポールにチームを持っているし、コンサドーレはベトナム代表を過去に招いたし、今はホウガン・ユナイテッド年代代表である内山をレンタルでだしている。

こういう動きを加速するべきだと思っている。

あとはアジア枠の拡張をするべきだし、J3に至ってはU-22限定で他国のチームを呼んだっていいはずだ。

それにより国内で他国の選手発掘にもなるし、日本選手の底上げにも結果的につながると感じる。

一時期、日本版のプレミアリーグという構想も出たが、マーケティングが疎かな現在では全く無意味だと感じる。

まずは国内リーグの底上げを目指し、日本人選手を鍛えなければ、日本代表に未来はなくなる。

鹿児島ユナイテッドがJFL4位以内決定

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元Jリーガーである柳崎祥兵くん(以下「ヤナギ」)と出会ったのは、もうすぐ八年前となる一月の雪が降る赤羽商業高校でした。

お互いC級指導者講習会の受講生として、彼は当時JFLの町田で活躍してJ2をめざしている選手でした。

講習会を通じて仲良くなった一人が彼だったのです。

しかし、一昨年J2からJFLに降格した町田から、契約更新の連絡がくることはありませんでした。

正月明けに、もし次の行き先がないのならと思い、ヤナギに連絡をすると実はほぼ決まっていて、近日中にプレスリリースが出ると聞いて安心したことを覚えています。

そして、ヤナギのJリーグ再挑戦が始まりました。

鹿児島ユナイテッドは、その年にヴォルカ鹿児島とFC KAGOSHIMAが合併してできたチームで、当初は難しいこともあったようですが、そこは30歳とベテランの域になってきた元Jリーガーは引っ張っていました。

しかし、一年目は百年構想チームになることもできず、またJ3への昇格条件の順位を満たすことができずにもう一年のチャレンジとなりました。

ちなみに昨年は栃木まで行って試合を見たのですが、やはりJFLで見るヤナギはJを経験しているだけあって、圧倒的な落ち着きがありました。

ですから私は少なくとも鹿児島ユナイテッドを引っ張っていくのはヤナギしかいないと感じていました。

また、FC KAGOSHIMAからの田上選手も引っ張っていくだけの力を持った選手だと感じていたのは、FC鈴鹿ランポーレど戦った地域決勝大会の予選リーグでのキャプテンシーを見ていたからでした。

そして11/1に見た流経大ドラゴンズとの試合で、その二人の躍動をきちんとこの目で確認しました。

ただし、鹿児島ユナイテッドに対して不満に思ったのは、リードしているはずなのに、なぜか焦っているようなプレーが続く時間帯があることでしたが、J3に向けてメンバーの追加であったりレンタルでのJ2メンバーを受け入れたりということで、それ以上を目指すための環境を整えていくであろうと思っているため心配はしていません。

その中でベテランでありもう数年はJ3で稼働できるであろうヤナギは間違いなく鹿児島ユナイテッドを引っ張っていかねばなりません。

欲を言えばヤナギが攻撃の中心となっているのではなく、ヤナギを一つ下に置いたくらいの状況で、ヤナギがゴールまで脅かすようなそんなチームになれば鹿児島ユナイテッドがJ2に行くことができると思っています。

あと何年トップレベルでヤナギができるかは神のみぞ知るところですが、彼にはもう一度J2のフィールドに立つ姿を見たいと願っています。

スタンドからの「♪ヤナーギザーキ~」という町田から変わらぬ応援は、彼を励ましてくれるでしょう。

優勝というもの

BRAINS

代表の工藤が所属している”BRAINS”というチームは、東京都シニアサッカー連盟に所属するOver-50の3部Cブロック(TSL-3C)で2015年度は戦ってきました。

10/25の最終戦に勝利し、5勝1敗1分でTSL-3Cで優勝を果たしました。

東京都サッカー協会・・・つまりは日本サッカー協会に直接つながっている団体での最底辺のリーグですが、そこでの優勝というのはそう簡単なものではありません。
それは毎年優勝候補と言われながらも3年間社会人4部で足止めを食らったNSP CLUBが奇しくも証明しています。

私がBRAINSに入ることになった昨年9月、BRAINSはTSL-2で戦っていました。

しかし、昨年は結局一勝もできず、TSL-3に降格することになりました。

もちろん所属したからには今年のリーグを突破し、一年でのTSL-2復帰を自分もチームと一緒に目指すことに専念をしてきました。

そして迎えた初戦でしたが、ここ数年勝ち星のない相手にみんなのおごりがあったのか、それとも油断をしたのか前半で0-0で折り返すと結局3人の怪我人を出しバタバタしている間にゴールを決められ、0-1での敗退という結果となってしまいました。

残り全勝じゃなければ厳しいという中、初戦を終えて生ゴールキーパーが負傷により長期離脱となり、GK登録もしていた私が急遽ゴールマウスを守ることになりました。
そもそも得点力を案じてBRAINSに入ったはずなのに・・・と自分だけではなく、周りもそう思ったのだと感じています。

そして足立エンジョイでも、葛飾シニアでも全く勝利ができない中、なんとかTSLだけは勝ち続けていたのですが、GK復帰のTSLでDFとして出場していた私がペナルティーエリア内での反則を取られ、PK献上という頭を抱えたくなることをしてしまいました。

そのPKを正GKがガッチリキャッチし、その試合は冷や冷やながらもスコアレスの引き分けで昇格は絶体絶命となったのです。

ところが首位に立つチームがそれぞれ分けと負けをしてくれたおかげで、BRAINSは優勝戦線に踏みとどまりました。

首位決戦で最初に迎えたのは”渋谷ミドル55″さんでしたが、TSL-1にシニアトップチームのあるチームですので、きちんと練習をしているチームで、動ける選手もいてパス回しをガンガンされました。
そんな中でもDF陣が踏ん張り、前半を0-0で折り返したのです。

前半途中で下がり、後半残り半分からトップ下で行くよと言われていた私は、後半も渋谷の猛攻に耐えるDF陣を見つめるとともに、トップ下の選手のこの試合BRAINS最初の惜しいシュートを見たのです。

ここで交代した私が彼以上の結果を出さなければ全く意味がないと、交代の時ハイタッチで気合いを入れます。

そして投入5分後に右サイドのYさんからトップのCさんに、ゴールライン際に向かうパスが出ました。

その時、相手DFが決定的なミスを犯します。
Yさんのスピードに2人のDFがついていき、Cさんには1人、そして私の前には少し離れたところでYさんを見ていたDFがいただけだったのです。

Cさんからのマイナスのパスをダイレクトのインサイドで叩きます。
この時に浮かんだのは試合前に別の試合を見ていて右隅に決まった柔らかなゴールをYさんとみていて「くどうちゃん、ああいうのもコースが良ければ入るんだよね~」と確認していたことでした。

ペナルティーエリア外の左側からゴールの右上隅を狙ってインサイドで蹴ったボールが向かいます。

相手GKの手に少し触れましたが、そのままゴールに吸い込まれたのです。

このゴールで1-0とリードし、ずっと攻め続けていた相手チームはこれをきっかけに焦りが出てきます。

そして残り2分のところでトップのKくんがBRAINS入り初ゴールを決め2-0での勝利をしました。

これで優勝争いに踏みとどまったのです。

渋谷と対戦する前に”品川50″にも2-0で勝っていました。
この試合は負ければ優勝戦線からの離脱を意味していましたが、私が用事で参加できない中、同じ誕生日のUくんやTさんが頑張り、見事に勝利をしたのですが見ていないためレポートはできません。

しかし、最終的に優勝争いは品川50と行いました。

それが10/25のゲームだったのですが、BRAINSに引き分けたYKT50が品川50と2-2で引き分け、勝ち点で品川と渋谷がBRAINSと並び得失点差で渋谷とBRAINSの争いとなったのです。

この段階で0-4で敗退すれば優勝がなくなるかもしれないというものでしたが、私たちは品川50の結果を見ても気を緩めることはありませんでした。

ところが、当日の対戦相手は下位に甘んじながらも6試合で失点が3というウルトラマンFCでした。

またしても前半は0-0、それも攻め切っているとはいえない状況でのスコアレスで折り返します。

その暗い雰囲気を変えたのは一戦目で怪我にて退場したKさんがコーナーキックからヘディングで決めます。

しかし、ウルトラマンFCも諦めずにくらいついてきます。

後半10分、トップに一戦目にこれまた怪我にて退場したYさん、そして同じくGKと激しく接触し呼吸困難で退場した私がトップ下に入ります。
Yさんとは前節の渋谷戦の時と同じように、フィールドに入る前に約束を決めていました。

「今日はトップとトップ下の距離が近いから、少し距離を離そう」というものです。

そして二つ目のチャンスでした。

ペナルティーエリア右側でボールを持ってDFと当たり、潰れたYさんからこぼれたボールを、私が迷わずに角度のないゴール左隅に決めたのです。
まさしく前節のYさんとのイメージ共有がゴールを生んだのです。

そしてその3分後、YさんがMFからの縦パスを受け私がゴールをしたところとほぼ同じ場所から同じようなシュートを叩き込みます。

結果は3-0での完勝でTSL-3C優勝を決め、来年のTSL-2自動昇格を決定させました。

区リーグなどの優勝もたいへんなことなのですが、日本サッカー協会につながるこのカテゴリというのは、最底辺であっても本当に難しいことがいっぱいあります。

パス回しを含めた部分でBRAINSは渋谷に負けていましたが、結局勝った方が強いということになります。

ウルトラマンFCにしてもそうですが、スコアレスではなく0-1という状況もしくは1-0であったって、結果は変わっていたかもしれません。

その意味において2015年はBRAINSにとってラッキーな一年であったと思っています。

ラッキーに頼ってだけいたら、来年のTSL-2では昨年と同様一勝もできずに叩き落とされるだけでしょう。

今年の優勝が重いものだと感じ、来年につなげるためにはメンバーみんなの意識がもう一段高まらなければなりません。

難しくともまずは全勝を目指し個々の練習、エンジョイリーグや練習試合での積み重ねを行い、それを結果にしていかなくてはなりません。

どんなリーグ、トーナメントであっても優勝というのは重いものです。

それが一つランクが上がったとしたなら、もっと重みが増す・・・つまりは厳しくなるということです。

まだ区リーグなどはシーズンが終わっていないため、TSL-2までお休みというわけにはいきませんが、それらを通して自分ももう一段上がるために努力しなければなりません。

BRAINSの皆さん、これからも一緒に頑張っていきましょう。