無償ボランティアとはそんなに偉いのか?

ここ最近の一連のエントリーの続きだと思っていただければ幸いです。

お父さんコーチを頭から否定する気はありません。
それはどのようなスポーツにおいても同じことだと思っていますが、どうも未だに無償ボランティアが偉いと思っている方が多くいるように思っています。

私はサッカーの活動において多くを「有償ボランティア」としています。
なぜか・・・それはボランティアに携わるにおいて、実際にかかる交通費や経費などが必要であり、持ち出しをして続けるのが困難であるからです。
ちなみに私の有償の範囲は、経費の方がはるかに上回っており、結局持ち出しとなっているのが現実です。

それは社会人チームを運営していた時も年間50万円以上であり、続けていくにはたいへんな時間とお金がかかるものです。
だからこそ社会人チームを現在休んでいるのは、それだけの労力を出し続けるためのモチベーション・・・つまりは選手達のやる気で判断しなければならなかったのです。
それが私の基準を満たさなかったからこそ休んだわけで、ボランティアを続けるに至り責任を全うしたいからこそそうしているわけです。
対して少年スクールは、その意義からもたとえ持ち出しだとしても続けることこそ価値があるからこそやっているわけで、毎月赤字であったとしてもNSP CLUBとして今後も続けます。

さて、無償ボランティアはそんなに偉いのか・・・、偉いのだとは思います。
その後も責任をもって続けることができるのであればという条件付きです。

持ち出しばかりの無償ボランティア、私の場合は台東区サッカー連盟での活動がそうですが、審判部、運営部、成年部では一切の費用をいただいていません。
なぜなら連盟にそれだけの財力がありませんし、誰かがやらなければならない活動であると考えるからです。
ここには大きな責任と忍耐が必要になります。

余談ですが大きな忍耐の一つに「金銭」というのがつきまといます。
私がPTA本部活動を続けられなくなった理由に、金銭がありました。
5年間は仕事をしながらでも生活を続ける余力があったのですが、6年目の最後にそれがもたなくなったのです。
それを「ごめんなさい」とできたのは、無償ボランティアであったからこそ周りが「しかたがない」と認めていただいたわけで、これが有償(ボランティアではなく)であれば、責任問題として裁判にさえなるものだと思っています。

さて、有償ボランティアの場合はどうかといいますと、お金の分の責任が生じます。
私の場合の実費精算分の有償とは異なり、報酬的な形での有償ボランティアの場合どうかと考えるのですが、これは「生計を成り立たせるもの」ではない場合に、ボランタリーの精神が受け継がれているものだと判断できます。
特に私達のサッカーのような活動においてはプロフェッショナルのボランティアが存在するわけで、それを無償で行うというのは「大きな忍耐」が当然ながら必要になります。

ちなみに高木成太がNSP CLUBのスクールで得ていたのは生計を立てるようなものなどは不可能でしたし、横浜FCのスクールをやってようやく生計を成り立たせていたというのが事実です。
プロフェッショナルでさえこの状況というのが現実であるわけですから、いかにボランティアというものが難しいのかがよくわかります。

さて・・・そのような状況が事実だというのに、これを営利活動だと叫ぶ人たちがいます。
だったら来て現実を見てくださいと本気で言いたくなります。
もしこれが100人来てようやく生計を立てるプロフェッショナルコーチがでたならば、それは営利ではなく正当な報酬を得られたということになりますし、それ以上の選手が来て利益が出たのであれば当然ながら社会還元をしなければならないのがNPOです。
だからこそ私たちはNPOという団体とすることを選んだだけで、利潤のみを追求するのであればもっとスクールの料金をあげ、株式会社にした方がよほど楽だと言えます。
事実、私達がNSP CLUBを立ち上げる時に、ある方からそういうアドヴァイスをいただきましたが、私たちは「どんな子供でも来られるようなスクール」という方針で行っているため、4000円を超える料金を取らないことにしました。
今後スクールの方針として選手コースなどを立ち上げた場合には料金を見直すとは思いますが、それまではできるだけその方針を曲げないように努力していきます。

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