明日は久しぶりのFC町田ゼルビアの観戦にいきます

明日23日は、墨田区との交流試合(シニア)などもあったのですが、依頼審判もあり時間的に厳しいこともありそちらをキャンセルして、今年二度目のFC町田ゼルビアの試合を見に行きます。

何度か紹介していますが、FC町田ゼルビアにはC級指導者講習会で一緒だった柳崎祥兵がおり、同じく一緒だった横塚くんと観戦をしに行く予定です。

FC町田ゼルビアは残り4試合で3位に食い込んでおり、昇格条件も満たしたために4位以内に入ればJ2への昇格が見えてくるのです。
そのヤナギの頑張りを私たちが応援しないでどうするんだというわけで、たった二人ではありますが行くことにしたのです。
勝ち点差がわずかの中に4チームほどがひしめき合っている状況で、取りこぼしをすれば昇格できないというようなことが充分に考えられる中で、先日話をしたヤナギは「全部勝ちますよ。まずは23日にいいプレーを見せます。」と力強く約束してくれた。
年は20個も違うのだが、サッカー仲間として応援しているのはまぎれもない事実であり、年齢が上だから下だから関係なく、同じ講習会で学んだサッカー仲間としてこれからも応援していきます。

とにかく私が見たいのは、J2のピッチに立つヤナギであって、FC町田ゼルビアなのです。

そろそろJリーグ行きの切符はわずかになってきたわけですが、JFLをもっと活性化させる必要もあると思っています。
一つの方法としてはJFLを東西に分けて「J3 EAST」と「J3 WEST」で活動地域をもっと狭くすればいいのではないかと考えています。
そうすれば北海道と沖縄は仕方がないにしても、本州・四国・九州のチームは移動に対する負担が時間的にも金銭的にも減るはずです。

・・・とまあ、サッカー協会改革はおいといて、まずはFC町田ゼルビアを明日全力で応援します。

ゴール裏の不快感

Facebookではちらっと書いたのですが、やはりブログにも書こうと思いました。

サッカーにせよなんにせよ、応援というものはそれぞれの人によって違うものだと考えます。
その人のキャラクターだったり思いだったり、それぞれの性格が違うように思いや考え方は当然ながら異なるのです。
もちろん集団で応援すること、立って声を出すことに意義を見出している人もいます。
それはそれで私は良いのではないかと感じるのです。

しかしながら今年コンサドーレ札幌の応援・・・アウェイですが・・・に行って思うのは、どうしてもゴール裏の住人たちは自分たちのやりかたを強制しているようにしか感じられません。
そもそも私がゴール裏の住人たちが嫌いになったのは、数年前に甲府での試合の応援に行った時のことで、応援をみんなで一緒にしようよと言ったはずなのに、勝利をして終わった時、自分たちだけで喜んでいたこと、周囲の人が声をかけても無視をしていたことが発端なのです。

私は小学校のころよりサッカーに接してきて、応援をする時というのは座ってぶつぶつと言っているのが常でした。
自分だったらこの状況でどうするか、コンサドーレのサッカーだったらどうするのか、選択肢を明らかに間違えた選手に「そうじゃない」と言ってみたり、逆サイドをきっちり見えている選手に「グッド」と言っていたりして、ゴールが決まれば派手なガッツポーズで飛び上がる・・・そういう応援が私のスタンダードです。
それこそ妻や仲間とも一緒に行ったことがありますが、このスタンスは変えません。
むしろサッカーを知らない人がいるといちいち説明をしなければならない(ルールだったりなぜ今のが良いプレーだったのかなど)のが試合に集中できないため、一人で行きたくなることも多々あります(苦笑)
そういう応援のスタイルってのもあるのです。

しかし先日のアウェイ席では「岡山選手が言っているんだから寄りましょう」とハンドマイクで案内をしていました。
そこまでは私はありだと思っています。
ところがその後に続いた言葉は「90分立って応援することに意味がある」というもので、それをしろと暗に言っているのですから、賛同できない人はその場から離れますし、そもそもゴール裏の住人を好きではない人たちは、最初から遠くにいるわけです。

私から言わせていただけるなら「それぞれ好きにすればいいじゃない」ということです。
ゴール裏で90分間声を出して飛び跳ねて応援するのもそれはそれでいいことでしょう。
しかしじっくり試合を見ていたい人もいますが、応援をしていないわけではありません。
コンサドーレのユニフォームを着てじっくり見入っている人が、コンサドーレの勝利を願っていないはずはありません。
ところがどうもゴール裏の人々は、それは応援じゃないというわけです。

ましてツイッターで帰ってから見てみると、「岡山が言っているんだから寄れや!」なるものまで発見したわけで、そうならない状況がなぜ発生しているのかを考えていないことがよくわかるわけです。
はっきりいえば、ゴール裏の人たちの考えや言動が、ゴール裏から普通の人々を避けさせているのです。

ホームゲームならまだ良いでしょう。
じっくり見たい人たちはSS席やS席にいてゆっくり観戦できるわけですが、アウェイゲームとなるとコンサドーレのユニフォームを来てメインスタンドに座っていることほど苦痛なことはありません。
感じないというのであれば余程鈍い人たちということになるでしょう(笑)
そうするとスタジアム側でもアウェイ応援席を用意してくれているわけですから、必然的にアウェイの席に行くことになるわけですが、ここに強制があるとするなららスタジアムに足を運びたくなくなるのも当然ということになります。

いいじゃないですか、共存すれば。
最初にも書きましたがそれぞれの応援のしかたがあるのですから、それぞれに従いましょうよ。
あいつらは敵じゃなくて、同じチームを応援している人なのです。
ただその応援のスタイルが違うだけなのですから、相手に干渉しなければいいだけのことです。

繰り返しますがゴール裏で応援したい人はそれはそれでいいのです。
ただそれが全てなのではなくて、いろいろなスタイルがあるのですから、そのスタイルを尊重しましょうということなのです。

今年は富山、栃木、水戸とあちらこちらに行きましたが、どこへ行っても結局同じことだったと思っています。
私はゴール裏を見て「おっやってんなー」と逆に頼もしく思うくらいですが、強制をされると感じる人がいる以上、まずはそれ以外をも尊重するべきです。

ここぞというシーン

ここを決めておけば楽になるというのを、どんなスポーツでも見ることがあります。
特にサッカーにおいて一点というのはとてつもなく重いもので、他のスポーツの一点とはちょっと違うものだと感じることがあるのです。

さて、何の試合かというと今日観にいっていた東京ヴェルディ対コンサドーレ札幌の試合のことなのです。
決定的チャンスもシュートの数も、ボール支配率も上なのに負ける・・・その理由は本当にわかりやすいものだったと思います。
後半に入ってゴール前でのフリーでのシュートを三本はずした札幌と、試合を通して決定的ナッシューとチャンス三本のうち二本を決めた東京ヴェルディとの差が結局勝敗をわけたのです。

社会人の監督として私がよく言うのは「枠へ入れろ枠へ!」というものです。
枠をはずれたいわゆる惜しいシュートだろうとなんだろうと、枠へ行かなければゴールのチャンスはなくなります。
逆にコロコロだろうとなんだろうと枠へ行けば得点になるかもしれないのです。
ですから私は枠へ行かないシュートに対して「グッド」とか「ナイスシュート」ということは言いません。
応援のときも一緒ですから会場は盛り上がっていたとしても、枠へ行っていないシュートは次の展開を予感させないものであるため「ナイス」ではないのです。

それと今日の札幌というか、特定の選手なのですが気合が足りないように見えたのです。
それは私だけではなくスタジアムにいた多くの人が感じていたのだと思いました。
「なぜよらないんだよ」という声があちらこちらから聞こえたわけですから、その通りなのだと思っています。
それら全てが今日は札幌にうまくいっていなかったわけで、結果は2-1で東京ヴェルディの勝利となったわけです。

ヴェルディというか私にとって読売クラブというのはとても思い入れのあるクラブです。
ですが、今日の試合を見て思ったのはもう読売のサッカーはないと感じたことです。
成太にも電話をしましたが、2002年のヴェルディのときにも感じた(成太はボランチでしたから)ヴェルディのサッカーが、監督が川勝さんであるにも感じられなかったのはどこかさびしいことだと思っています。

確かに日本のサッカーというかスキルレベルは上がっているのですが、個性というかストロングポイントというか、平均よりある部分突出したようなそういう選手が減っているのはどうなのかと感じています。
もちろん私たちの子供のころよりも上手な子供が増えましたし、足下のうまい子供は増えたと感じるのですが、逆にみんな同じようなプレーに見えたり、プロサッカーでも同じサッカーをしているようにしか見えないのは、どこかつまらないものがあります。
もっと高いレベルで平均化すると、それはそれで楽しみもあるのかもしれませんが、Jリーグのレベルで平均化をしてしまうと、世界のトップレベルと本気で当たったときに勝ちきれないのではないか・・・そう感じることがあります。

一指導者として私はどう子供たちと接して行くのかを考え、自分なりの答えを出していきたいと思います。