子供のため

よく言うことです。
私も子供のためと口にしています。

しかし、自分のためにもなっているのは事実ですが、自分が何かをすることが目的にならないように注意をしています。

その意味においてFC台東 U-15を引き受けたのは当然ながら自分のためでもあります。
コーチとしてジュニアユース年代を教えるという実績が必要ですし、子供たちにどうやって自分の持っているものを伝えることができるのかという部分があります。
もちろん子供ありきで考えていることですが、きちんと自分にとってどういうオファーなのかというのを考えて結論をだしています。
それはきれいごとだけではないという正直な部分をはっきりさせておくことで、自分の戒めにもなります。

自分の利益のため、目的のためだけに活動をするのはいやらしい行為だと思っています。
ですから私は教育のページの自己紹介からPTAで活動していたことを削除しました。
これはある先輩からうけた助言もあったからなのですが、PTAがその目的に使われることは不自然だと考えるからです。

ただし一方でPTA活動をしていたことが有利に働くこともあります。
たとえば葛飾区や東京都で一般では無視されそうな意見であっても、「一応」受け取ってもらえるということがあります。
また、葛飾区においては当時一緒に活動していた仲間も多く、それぞれが青少年委員や地域に携わっている人たちが多いことから、意見を無視することができないということがあります。
これは自分のためではなく、誰かのためにやったからこそついたことであり、決して最初から狙ったわけではありません。
まあ中には狙ってやっている人もいるかもしれませんが・・・

では子供のためになにができるか、これから引退する選手たちに何をすることができるかといえば、アマチュアスポーツに携わるプロフェッショナルの指導者への理解をそれぞれの地域がしてもらえるようにしなくてはならないと思っています。
それは子供達への利益でもありますし、引退した選手などにとってはそのスキルを最大限に活かすことのできるフィールドになるかもしれません。

ところが地域でそうした受け入れをしようとしないとなれば、その地域の子供たちにとってはそうしたものを享受できないわけですし、いつまでたってもアマチュアコーチだけということになってしまいかねません。

スポーツ以外を見てみればわかるのですが、ピアノはピアノの先生にならいますし、高度学習は塾の教師にならいます。
しかしスポーツだけ指導がアマチュアという部分があるのはなぜだろうと思うこともありますが、そこにプロフェッショナルがいた方が子供たちにとってはいいに決まっています。
それを独占することなく、地域にそれぞれのプロフェッショナルの指導者がいれば、当然ながらその地域の子供たちのレベルはあがってくるはずです。

それはスポーツだけではなく文化的なものもそうなのですが・・・

子供たちのためというのは、そこまで考えるべきではないかと私は考えていて、実行しているのです。

なるほど!

メモをしたものに関しての追記。

葛飾区は「東京都社会人サッカー連盟」に対して陸上競技場を貸し出したわけだ。

ということで区長へのメールの返信。

今回、ご指摘の日時に施設をご利用いただいた東京都社会人サッカー連盟は東京都体育協会の加盟団体であったため、葛飾区教育委員会が定める葛飾区体育施設事前仮押さえ要綱に基づき、区民大会等の行事に準じて申込みを受けつけました。したがって、改修工事や区民大会との日程及び時間を調整して、ご利用いただけることといたしました。4月15日はグランドを全面利用するために選択不可、22日はフィールドを利用するために大会、という表示になっています。
また、もう一点の質問に関してですが、前出の要綱に基づく事前仮押さえ申請のようにあらかじめ定められた手続きの他には、一部の団体に対する優先的な取扱い等は一切ございません。施設の利用につきましては、公平、公正に申込み受付や抽選を行い、利用料をお支払いのうえご利用いただいております。

なるほど。
「東京都社会人サッカー連盟」なんだね。

あるNPOが「俺たちはNPOなんだから行政は協力しなくちゃならないとなっている。だから東京都社会人サッカー連盟は協力しろ」なんてことができるんだろうか?
もしこれが成り立つなら、東京都内のNPO団体はこの手を使ってグラウンドを「適正に利用」することが可能になるということだ。

ちなみにこの件に関しては生涯学習課に連絡済。

無償ボランティアとはそんなに偉いのか?

ここ最近の一連のエントリーの続きだと思っていただければ幸いです。

お父さんコーチを頭から否定する気はありません。
それはどのようなスポーツにおいても同じことだと思っていますが、どうも未だに無償ボランティアが偉いと思っている方が多くいるように思っています。

私はサッカーの活動において多くを「有償ボランティア」としています。
なぜか・・・それはボランティアに携わるにおいて、実際にかかる交通費や経費などが必要であり、持ち出しをして続けるのが困難であるからです。
ちなみに私の有償の範囲は、経費の方がはるかに上回っており、結局持ち出しとなっているのが現実です。

それは社会人チームを運営していた時も年間50万円以上であり、続けていくにはたいへんな時間とお金がかかるものです。
だからこそ社会人チームを現在休んでいるのは、それだけの労力を出し続けるためのモチベーション・・・つまりは選手達のやる気で判断しなければならなかったのです。
それが私の基準を満たさなかったからこそ休んだわけで、ボランティアを続けるに至り責任を全うしたいからこそそうしているわけです。
対して少年スクールは、その意義からもたとえ持ち出しだとしても続けることこそ価値があるからこそやっているわけで、毎月赤字であったとしてもNSP CLUBとして今後も続けます。

さて、無償ボランティアはそんなに偉いのか・・・、偉いのだとは思います。
その後も責任をもって続けることができるのであればという条件付きです。

持ち出しばかりの無償ボランティア、私の場合は台東区サッカー連盟での活動がそうですが、審判部、運営部、成年部では一切の費用をいただいていません。
なぜなら連盟にそれだけの財力がありませんし、誰かがやらなければならない活動であると考えるからです。
ここには大きな責任と忍耐が必要になります。

余談ですが大きな忍耐の一つに「金銭」というのがつきまといます。
私がPTA本部活動を続けられなくなった理由に、金銭がありました。
5年間は仕事をしながらでも生活を続ける余力があったのですが、6年目の最後にそれがもたなくなったのです。
それを「ごめんなさい」とできたのは、無償ボランティアであったからこそ周りが「しかたがない」と認めていただいたわけで、これが有償(ボランティアではなく)であれば、責任問題として裁判にさえなるものだと思っています。

さて、有償ボランティアの場合はどうかといいますと、お金の分の責任が生じます。
私の場合の実費精算分の有償とは異なり、報酬的な形での有償ボランティアの場合どうかと考えるのですが、これは「生計を成り立たせるもの」ではない場合に、ボランタリーの精神が受け継がれているものだと判断できます。
特に私達のサッカーのような活動においてはプロフェッショナルのボランティアが存在するわけで、それを無償で行うというのは「大きな忍耐」が当然ながら必要になります。

ちなみに高木成太がNSP CLUBのスクールで得ていたのは生計を立てるようなものなどは不可能でしたし、横浜FCのスクールをやってようやく生計を成り立たせていたというのが事実です。
プロフェッショナルでさえこの状況というのが現実であるわけですから、いかにボランティアというものが難しいのかがよくわかります。

さて・・・そのような状況が事実だというのに、これを営利活動だと叫ぶ人たちがいます。
だったら来て現実を見てくださいと本気で言いたくなります。
もしこれが100人来てようやく生計を立てるプロフェッショナルコーチがでたならば、それは営利ではなく正当な報酬を得られたということになりますし、それ以上の選手が来て利益が出たのであれば当然ながら社会還元をしなければならないのがNPOです。
だからこそ私たちはNPOという団体とすることを選んだだけで、利潤のみを追求するのであればもっとスクールの料金をあげ、株式会社にした方がよほど楽だと言えます。
事実、私達がNSP CLUBを立ち上げる時に、ある方からそういうアドヴァイスをいただきましたが、私たちは「どんな子供でも来られるようなスクール」という方針で行っているため、4000円を超える料金を取らないことにしました。
今後スクールの方針として選手コースなどを立ち上げた場合には料金を見直すとは思いますが、それまではできるだけその方針を曲げないように努力していきます。