レフェリーは一人

公式戦にはレフェリーが最低一人必要になります。

少年で8人制の場合にはレフェリーのみ、それ以外ではアシスタントレフェリーを2名任命することができます(できますというのは競技規則の第6条副審の最初に書いてあるからです)。

そしてそのレフェリーの権限とは試合の結果を含めて最終決定となります。

実はレフェリーとはそれくらい重い決定権を持っていることになるわけです。

では、保護者の方がお子さんの公式戦の試合を見ていて、「なんだよあの審判!」と思ったことはありますか?

ほとんどの方がきっとあると思います。

その程度の大小はさまざまあるかもしれませんが、自分の子供のチームに不利な笛を吹かれたときに、きっと同じようなことを思うことでしょう。

しかし、審判を守る立場から言えば、主審の権限とは大きいことと、それを背負うという責任があるため、かなり大変なことになるのです。

ですからもしそのジャッジに対して「なんだよ!」と思ったとしても、それをぐっとこらえて「選手たちのために頑張っているんだ」と考えてください。

しかし審判のみなさんにも覚えておいていただきたいことがあります。

きっとさまざまな理由でそこにいるのだという事情はお察しいたします。

お父さんコーチで人がいないので仕方がなく立っている方もいるでしょう。

若手で審判の経験を積みたいがために立っている方もいるでしょう。

そして、もしかしたら周りから審判活動が好きだと思われて、実は好きではなく使命感で立っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
(といいながら、それを楽しみ始めている私のような者もいます)

どんな理由で主審になったのかは問いません。

目の前の試合に精いっぱい取り組んでください。

そして、その試合を見ている人はいるのだということを覚えておいてください。

例えば服装や姿勢です。

選手がびしっと直立しているというのに、審判がだらしがなく挨拶をしてみたり、ショーツのひもを外側に出してぶらぶらさせてみたり、襟も互い違いでだらしがなく見えたとして、それを選手だけではなく選手の保護者やベンチの監督やコーチも見ています。

そのレフェリーが素晴らしいジャッジをしたとしても、たいていの人はその素晴らしいジャッジよりもだらしがなさの方を記憶してしまいます。

人の記憶であったり思いというのはそういうもので、背筋をピシッと伸ばしてキビキビとジャッジして、たまにミスがあったとしても、「頑張っているんだな」と感じられるような人であれば、ある意味少々のミスは「プロじゃないんだから仕方がない」と思ってくれる人が大多数です。

逆にそれでジャッジも観客の中で合格点であったなら「今日の審判はよかったね」ということになります。

つまりは「姿勢」というのがとても大切だということなのです。

そして、その試合に真剣に取り組んでいましたか?

ジャッジをする時の手をピシッと伸ばしていましたか?

フリーキックの場所を示す時に、ジョグではなくて歩いてやっていませんか?

そこを少しずつ変えてみれば、きっと観客からも選手からも最大のリスペクトをされると思っています。

お父さんコーチの中にも仕方がなくやっている人もいることでしょう。

しかし、あなたの子供がどこかの審判のお世話になっているように、あなたもレフェリーとなった時、そこに選手や監督、コーチ、観客は見ているのです。

そこでクレームをつけられたり、罵声を浴びせられることもあるでしょう。

ですが、それはきっとあなたのジャッジや姿勢が足りないと見られているのです。

そして、そこに「無償ボランティアだから」という甘えは捨ててください。

これはコーチとしてもそうなのですが、有償であれ無償であれ育成にはアマチュアリズムの甘えはできません。

「指導でうちのチームはここまでしかできない」というのはわかりますが、やらねばならないことというのはレフェリーは競技規則で定められているわけですから、その部分は満たしてもらわなくてはなりません。

それだけの責任を指導者としてもレフェリーとしても持っているのです。

そして、その覚悟がないのであれば、私はどうするべきなのかを、チームスタッフと相談して決めてほしいと思っています。

若い世代の壁にならなくちゃね

レフェリー活動をしていて、若い・・・本当に若い世代の人達と接することが多くあります。
今は、U-15で指導をしていた選手と一緒に今度はレフェリーとして立つのも出てくることになりました。

私が担当させていただくのは、若い主審の時の副審1であったり、大学3部(最近は少ないのですが)あたりで学生が副審をやる試合というのが多くなっています。

そうすると、当然ながら若いレフェリー仲間と同じ会場で会うことになるのですが、そこで彼らの壁にならなければならないと感じているのです。

当然ながら邪魔をするのではなく「壁」にということです。

「いやいや工藤はでかいから壁じゃん」というネタは置いといて・・・\(・_\)そのはなしは(/_・)/こっちに置いといて

フィジカルでではなく、審判の姿勢であったり、試合中の走りやコントロール、若いレフェリーが「さすがベテラン」「おっさんなのによく走る」と思わせなければならないということなのです。

正直なところアクティブレフェリーの全ての人が高いレベルで審判活動をやっているわけではありませんし、残念ながらカテゴリーによっては走りが足りないように見えたり、ジャッジが不安に見えたりする人もいます。

そういう「おじさんレフェリー」を見て、若いレフェリーは当然ながら「おじさんレフェリー全般」を甘く見ようとしてしまいます。

そこに態度のでかい・・・じゃないっ!壁になるおじさんレフェリーがいたとしたなら、彼らが次のステージに上がるため努力をするのではないかと感じています。

そういう意味の壁というわけです。

高いレベルの大会に、おじさんレフェリーが割り当てられる、特に研修である試合などで若いレフェリーではない選択肢は、若いレフェリーからすると「なんで?」となってしまうでしょう。

しかし、おじさんレフェリーであっても、若い世代に「ちくしょー、あの人が頑張っているんだったら俺だって」と思わせるような、そういうレフェリングができればと思います。

そのためには、東京協会審判部の漫談師・・・H部長が日ごろから言っている「頭の準備と体の準備」を怠ってはなりません。

51歳の今、できることを精一杯やって、彼らの壁になってやろうと思っています。

自分としてはあと数年このレベルのレフェリーをやりたいと思っているので、まだまだ走ります!

懐かしの天皇杯(2011年)

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∁ ゲキサカ

2011年10月12日 FC鈴鹿ランポーレは天皇杯で名古屋グランパスと対戦しました。

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成太と何年も付き合っているのですが、この時ばかりはうらやましくて仕方がなかったですね。

監督としてストイコビッチと同じ立場にいるわけですから。

カテゴリは東海社会人とJ1で違ったとしても、同じフィールドで監督という立場で戦ったのは本当にうらやましいと思いました。

選手としてもうらやましかったのは、プロになることができた云々は関係なく(私たちの世代ではプロなんて考えられませんでしたから)、エジムンドとヴェルディでプレーできたというのがうらやましくてしかたがありませんでしたね。

ちなみにこの試合のゴールキーパーは高木義成くんで、成太とヴェルディで一緒だった「高木」対決でもありました。

今では高木義成くんともFacebookなどでやり取りをさせていただいていますが、この時は対戦相手のゴールキーパーという感じでしたでしょうか。

成太もFC鈴鹿をやめて一年経つわけですが、関東でいろいろ頑張っています。

見かけましたらどうぞがんばれと声をかけてやってください(笑)