まず走りましょう

この土日に何人かの審判を見ましたが、本当にいろいろなスタイル(といっていいのかはわかりませんが)の方がいらっしゃって、いろいろと勉強をさせていただきました。

銀色、青色、緑色、テレビでは金色、本当にさまざまという感じでしたが、私のことですからやはりグラスルーツに絞りたいと思います。

グラスルーツでも銀色の方はいらっしゃいます。

そこも踏まえての話となりますが・・・気になったのは走ることはできるんだけれども、徐々に厳しくなっていく審判というのが一つ気になりました。

つまりは判定の基準がどんどん下がっていくというわけです。

当初はこれくらいの当たりではファウルにしなかったのに、最後の方はどんどん笛を吹いてしまっていて、試合がとぎれとぎれになってしまう感じでした。

審判の言い分としては「手のファウルが多い」というものでしたが、感想から申し上げると「ファーストファウルが基準だとすれば、どんどん基準が下がってしまっていて、最初と最後の基準が異なっていた」と選手からも観客からも見えたのだと感じました。

ファーストファウルが厳しければ、今日はこれが基準となって同じようなファウルは少なくなると思うのですが、どんどん厳しくなるということはある意味試合が荒れるかもしれないと途中で基準を切り替えたことにより、余計に選手からの不満を受ける形になったのではないかと思われるのです。

選手やベンチが大人でしたから荒れるようなことにはなりませんでしたが、もし壊れた場合にどうなるかというのは想像をしたくありません。

残念な審判もいっぱい見てしまいました。

まず走ることができない、または走ろうとしないという審判でしょうか。

危険なタックルがあり、笛を吹くのはいいのですが40mも離れていては説得力もなくなってしまいます。

けが人が出たとしてそこに歩いていくようなことがあれば、選手から不信感を持たれかねません。

そんな審判を残念ながら多く見ましたし、少年の現場でも見ることになったのは何かをしなければならないという自分の中のきっかけになっています。

前にも「審判は一人」というエントリーをしましたが、主審の権限は大きく、また競技規則にきちんと定められているのですから、たとえ4級であっても、初心者であっても競技規則を施行するための最低限の努力をしていただかなければなりません。

走ることができない、走ろうとしないなどというのは一番最初の課題でしかなく、それがもしできないというのであれば、残念ながら主審の資格を満たさない可能性があります。

見極めるなどという前に、まずは走りながらその事象を追い続けなければ当然選手は納得ができませんし、周りで見ている人たちも違和感を感じるはずです。

そして私はそういうレフェリーに「やめろ」とは思いませんが、どうするべきかは考えてほしいと思っています。

特に「走ろうとしない人」については、よくよく考えていただきたいと願っています。

私などはあと数年で「走ることができなくなる」というレベルになるでしょうから、走ることができるのであればまずは走ってみるということからスタートしていただきたいと思います。

Tリーグや大学リーグなどで主審を務めさせていただくときに、副審が学生になることがあります。

その彼らに必ず言うことですが「自分が選手としてフィールドにいる時、そのジャッジに納得がいくかということを心がけてください」とお願いしています。

私もプレーヤーですからまず選手の気持ちを考えています。

ですからレフェリーとしてフィールドに立った時、何をしなければならないか・・・競技規則の施行もそうですし、選手の気持ちもそうですが、サッカーという楽しい競技をするために自分がそこに参加するための理由をみつけて、ぜひレフェリーも楽しんでいただきたいと思います。

コーチとしてプロとアマチュアの違い

前にピアノの指導をされている方に、厳しいながらも理解をさせる言葉を使う方と、言葉や物理的な体罰を使う方についての話をしていただいたことがあります。

似合わないかもしれませんが、工藤は子供の時にピアノを習っており、たいへんに厳しい先生についていたのです。
ただし、その先生は私に期待をするため、厳しいながらも理解させる言葉を使っていました。
たいへん優秀な先生でありましたが、私は完全に期待に沿うことができるレベルにまでは到達をすることはありませんでしたが、同じ時期に別の先生で厳しくてミスをすると物差しでたたいたり、怒鳴り散らすという仲間が担当されていた指導者のことを聞いたことがありました。

そのピアノの指導をされている方の話を聞いて、なるほどと腑に落ちたのはプロフェッショナルとはその事象などに対して、理解不足な人に説明ができるということを知ったのでした。

そしてその後、C級指導者講習会に参加をして、ほぼ同じことを伝えられたのと、講習の内容が今まで私が学んできたサッカーをまとめるものだったため、自分のサッカーライフを振り返ることになり、子供たちと接する時に言葉で説明がしやすくなったことを覚えています。

今もコーチとして現場に立つとき、ピアノの指導をされている方の言葉と、C級のインストラクターの言葉、そして自分のまとめが間違いなく役に立っていると感じます。

先日の怒鳴るコーチは結局はプロフェッショナルになりきっていないのだと感じますし、必要なコーチングができていないからこそ怒鳴る、もしくは選手たちを自分のコマかなにかと勘違いしているのではないかと思っています。

選手にも当然ながら人格はありますし、それぞれにスキルや考え方が変わってきますし、各個人は全く違うものであることをまず考えねばなりません。

もちろんコーチとは立場も人格も全く違うはずです。

それを「指導」という形であてはめようとすると、結果として「上から」の物言いとなり、選手の選択の幅を狭めてしまうことにもなりかねません。

当然ながら自己ができあがった選手に対しては、ティーチングも必要となってきますが、それは型にはめるのではなくあくまでも前提に対してどうアプローチをするかということであって、上からの物言いではなく考えるための材料になってきます。

社会人においてはコーチングよりも、より深いティーチングや共通理解が必要となってくるために、全く違うスキルができあがってきます。

そこからののびしろであったり、今までの経験やスキルからできあがった考える能力などはここによって違います。

ですが、チームとして一つの方向性を目指す際に「うちのチームはこうやっていく」という方向は、コーチや代表などが示していき、スタッフも含めた全員が共通の理解をしなければなりません。

それはプロチームであってもアマチュアチームであっても同じで、チーム内のコンセンサスが取れていなければ、そうそう勝てるチームなど作りようもありませんし、遊びレベルでいいならいいで、そのレベルでの満足度を得られれば良いのだと思います。

ですから実は社会人チームでは結構派手なコミュニケーションがあったりしますが、それは考え方の違いをぶつけるということであって、前向きにやるのであれば大いに結構だと思っています。

しかし、残念なことに選手の中にはそうではなく「自分が中心でありたい」という考え方や、自分だけの満足のためにやっている人もいるわけで、そういう人たちとチームの考え方が違う場合に、とんでもないトラブルが起きてしまうのも事実です。

アマチュアチームではそれこそ喧嘩になるわけで、プロチームでは移籍や果ては引退なんてことにもなりかねません。

還って、プロフェッショナルのコーチとは、育成年代であれ成年であれ、チームとしての基準や目標、それに対してのアプローチをまとめることができ、そのための方策を伝えられる人というのがあてはまると考えます。

そしてそこに「怒鳴る」「言い負かす」などということはなく、アプローチの説明や、今やっていることへの説明と準備、ゲームへのプランなどをまとめて確実に選手たちに伝えることになります。

それができてこそプロフェッショナルであり、アマチュアとは一線を画すことになるのだと思っています。

当然アマチュアのコーチの中にそういう方もいらっしゃいますが、全くの無償ボランティアの中には極めて少ない数しかいないのもまた事実です。

私が有償ボランティアも含めたプロフェッショナルなコーチに言及するのは、こうした理由によるものです。

コーチが怒鳴ったり、命令するのが理解できない

私はコーチとして怒鳴ったり、命令をしたりするのが理解できません。

年間100試合以上のゲームに携わるのですが、結構な強豪チームの育成年代のコーチでも、思い通りのプレーではなかったり、ミスに対して罵ったりするのをみます。

あれで何が生まれるんだろうといつも感じます。

子供たちを上手くさせたいんじゃなくて、いわゆるいい選手がでて勝利をすれば儲かるから?

大会に勝ち続ければ、入団希望者が増えてお金になるから、勝つためにやってる?

全てじゃないとは思いますが、まるで自分の今後のためにやっているんじゃないのというように感じる人もいます。

だから工藤のコーチをしているチームは勝てないんだよと言われるじゃもしれませんが、育成年代であれば試合中に罵声を浴びせたり、怒鳴ったりすることはありません。

それは彼らの試合のパフォーマンスは、コーチが伝えた結果であるわけで、それ以上は選手が自主性を持って考えなければならないからです。

テクニックや考え方は伝えることが可能ですが、実行するのは選手であってコーチではありません。
ですから私は試合中に選手に対して質問やアイディアは伝えますが、結論に結びつくことや、答えの一つを大声で怒鳴るようなことはありません。

叱るとすればチーム内の言われなきいじめであったりする場合で、後は選手の自主性に任せるしかないのです。

練習中は口やかましいですが、それもまた目的が違います。

答えを導き出すためのヒントを繰り返し伝えるのみです。

こうしろ、ああしろ、とどめは「そこでシュート!」なんて言ってしまうコーチにはなれません。

全ての試合に私が勝ちたいと思っても、選手が勝ちたいと思わなければ、試合には勝つことなどできませんし。

まして手を出すなんてことはあり得ないわけです。