鈴木武蔵さんを侮辱するツイートに病的な差別が含まれていた件について

本人はこんなに大事になるとは思っていなかったのか、自分が正しいという人間が応援してくれると思ったのか、ジャマイカ人と日本人のハーフであり、日本国籍を有する選手として日本代表に選出されワールドカップ予選に出場する鈴木武蔵選手を侮辱するツイートをしていた。

しかも「大分サポ」を自称しており、オナイウ阿道の真似?とかいう、これまたオナイウ選手に対して失礼なツイートをしていたわけだが、本気でこういうサポーターはいらない。

私は何度も書いているがサッカーファンだが、サポーターにはなりたくないと言っているのはこういうこと。

コンサドーレのファンだけれども、アウェーで自分たちだけでしか勝利の喜びを分かち合わない姿勢のサポーターとは応援の仕方が違うし、90分飛んで叫んではしたくないため私はサポーターではないと言っている。

最近はゴール裏が嫌で、アウェーでも中央部分で観戦してぶつぶつ言っているほど。

・・・と少しそれたが、サポーターと言われる人の中に、過去にも「日本人以外おことわり」とか横断幕を出したり、必要以上に選手を威嚇してみたり、自分たちの勝手な思い込みで審判に暴言を吐いてみたり、そういう人が私には多いように感じる。

だからサポーターにはなりたくない、嫌いだと言っているのだ。

そういう人と同じに見られたくないから私はファンでいい。

件の大分サポは、先日のワールドカップ予選にも言及していたが、ミャンマー相手に最低二桁得点できないなんてのような書き込みをしていた。

私も少なくとも5点はとれたであろうとは思っているが、まずは勝ち点3を得たという事実を認めるべきであり、その後何が足りなかったのかは日本代表が考えることであって、サポーターやファンがどうこう言っても意味がない。

もちろん応援するということはたいへんに良いことであるが、特定の選手に対してクレームをつけるような、そんな応援についてはつまらないと思う。

まあ、私は本田圭佑選手と中村俊輔選手はどこまでいっても好きになれなかったので、応援することはなかったし、なんであそこで蹴りに行くの?ということも過去には書いた。

しかし、勝利したゲームの中でまずは結果を認めることが重要であり、負けた時の戦犯探しはするべきではないだろう。

もちろん考えることや指摘はいいと思う。

過去には香川真司選手に対して「うどん、いらねえ」などと書き込みをしていた人のツイートをミュートしたこともあるし、そういう応援やディスりは必要がない。

まあ、こうやってサポーター嫌いって書くと心が狭いだのなんだのとコメントしてくる人がいるが別段結構。

サポーターがいるのは構わないと思っているが、問題が起きた時に君自身が何をしたのだ?と問いたい。

私はその人たちと同じところに立つことをやめたので、外野から問題を見ているだけ。

ただし、このように問題があるのならどうしてなんだ?と言及はする。

応援の仕方は人それぞれだと思っているが、こういうサポーターという人がいる事実をきちんととらえ、自浄作用を発揮していただきたいと思うわけだ。

ただ一つ、サポーターに期待しているのは、あのスタジアムの空気をだしているのは君たちが多くの材料となっていることだ。

それは非常に好ましいことだと思っている。

そこを期待している。

TOKYO UNITED FCは昨日の引き分けで・・・

ということで、関東社会人一部リーグの9/1時点での結果で、TOKYO UNITED FCは三位以内は確定させているわけで、優勝は・・・となると、VONDS市原には勝ち点で追いつくには極めて難しい状況となり、二位または三位で終わった後に、全国社会人でベスト4以上の上位3チームに入ることで、地域チャンピオンズリーグに参戦できる条件が整ってきました。

優勝で臨みたかった全国地域チャンピオンズリーグですが、VONDS市原が圧倒的な勝率をおさめている状況では、全国社会人での結果を出すしかありません。

TOKYO UNITEDとしてはこういうチャレンジは初めてになるわけですが、簡単に上がることができない難しい大会とわかっていることとはいえ、期待せざるを得ません。

VONDS市原は2017年の全国地域チャンピオンズリーグにてあと一歩と迫った悔しさを晴らすことができるかが気になるところですが、まずはTOKYO UNITED FCが全国社会人で勝ち上がってもらうことを期待します。

残念なのは2016年以来、全国地域チャンピオンズリーグとは縁遠くなってしまった東京23FCです。

昨年は上位にいたのですが、本年度は現在最下位に沈んでおり、二部降格の危機にあります。

残り三試合を全勝して、まずは残留を果たした後に来年のことを考えていきましょう。

全国地域チャンピオンズリーグは、経験がものを言うものだと理解しています。

短期決戦が二度あるわけで、私は高木成太を通してその厳しさを見させてもらいました。

そのため2016年は東京23FCのU-18監督としてスタッフにいたのですから、彼に手伝ってもらうべきだと思っていました。

TOKYO UNITED FCにはそうした経験を持ったスタッフがいるのか気になりますが、まずは全国社会人で出場権を得て、全国地域チャンピオンズリーグに良いスタッフで臨んでいただきたいと思います。

※写真は鈴鹿アンリミテッドFCの全国地域チャンピオンズリーグの時のものです

競技者が見えているもの、審判が見えているもの

私は現役の競技者として、また現役の審判員、インストラクターとしてフィールドやその周辺に立つことがありますが、やはりそれぞれにおいて見えるものが違うのだと、最近あらためて感じます。

例えば、競技者としてファウルで試合が止まったとします、その際にファウルを受けた側が報復とまではいかなくとも、相手競技者が倒れている頭の上を足で抑えたとした時、私は間違いなくその足を通した選手に対して抗議します。

で、そういう時に別へフォーカスが行って、見えていない審判が時に、問題が起こることがあるのです。

審判としては再開をするためにファウルの一件が落ち着いたと思ったら、再開方向を確認するなどをするのですが、その時に火種が残っていたとしたら、見逃すこともあります。

競技者としては火種が残っているということは、双方に納得していない事象があるわけですから、一触即発なのですがその状況を審判がわかっていなければ見えなくなってしまうこともあります。

これをどうするか・・・といえば、経験を増やしていくしかありません。

競技者がどういうストレスを抱えているのか、どの競技者がストレスを抱えているのか、そういう部分を気付いていくことによって、試合の進行をスムーズにする工夫をしていかなくてはなりません。

間違ってもその際に、思ったことをストレートに競技者にぶつけるようなレフェリーはありませんが、それも経験によって工夫をしてください。

レフェリーもストレスがたまるのは当たり前なのですが、レフェリーが熱くなって言葉を発するのはしてはいけません。

競技者からみて、レフェリーが100%全部を把握してくれることはないと思っている人がほとんどでしょう。

ユニフォームを引っ張られている、押された、抑えられた、蹴られた・・・などなど、少しずつストレスはたまっています。

同じことが続くと当然ながらアピールをすることになります。

つまりはアピールはストレスがあるからこそ起きるということです。

多くのレフェリーはアピールで見えていて軽いものは「見ているよ」と気付かせることがありますが、見えていなかった場合にはどうしているでしょうか。

私の場合ですが、プレーが止まっているときに競技者に対して「ごめん、さっき見えなかったけれど、どうだったの?なるべく見るようにするから。」と「相手によって」声掛けをするようにします。

そうして、次に同じ競技者がファウルを受けたような場合に見えている、もしくはきちんとファウルを取ることによって、レフェリーと競技者との間に信頼関係が生まれます。

それがコントロールの一種なのだと考えます。

もし万が一もう一度見えていないなんてことになると逆に全く信用されなくなります。

声掛けとはそれほど重要なことだと認識しています。

インストラクターとしては、アセッサーとしてレフェリーの振り返りをする場合があります。

試合が終了してレフェリーチームのその試合の振り返りを行い、良い点、悪い点から伸ばしていく部分、改善していく部分をレフェリー本人に気づいてもらうためのものです。

以前のように「教える」という方法は少なくなってきており、「気付いてもらう」ことが重要視されるため、実はインストラクターも難しくなってきており、そのための研修も受けています。

チューターリングなどの手法を使って、レフェリーチームにその試合を振り返ってもらうわけですが、気付いてもらうための材料を揃えても気付いてもらえない時にはストレートに「このシーンはどうだった?」と聞くこともあります。

その時に気を付けたいのが「見えているものが違う」ということでもあります。

インストラクターはフィールドの外から見ていますし、レフェリーよりも争点から離れてみています。

そのため極端な場合にフィールド外からはファウルに見えたものが、レフェリーの視点からはファウルにはならないものだったりすることがあります。

その見えている者の違いを意識しなくてはなりません。

同じように東京都の試合の多くは、アセッサーが一人でレフェリーとアシスタントレフェリーを見るため、アシスタントレフェリーのオフサイドのタイミングについて疑義のある場合が存在します。

しかし、何度も書いていますがフィールドで見えているものとフィールド外、特にアシスタントレフェリーにしか見ることのできないオフサイドラインについて、余程はっきりわかるものでなければアシスタントレフェリーが100%間違っているものは見極めることができません。

今のタイミングは微妙だったな・・・聞いてみようとなるわけですが、その時にアシスタントレフェリーへの声掛けは「〇分の×チームのオフサイドだったんだけれど、どう感じましたか?」と言葉をかけます。

それに対してアシスタントレフェリーから「100%間違いなくオフサイドです。一列目は間違いなく、二列目に出てきた選手も先にオフサイドの位置にいました」と回答してもらえばまず間違いがありません。

ところが「微妙だったかもしれません」という回答は多くの場合BADだと感じるわけです。

レフェリーは見えた事実を表現する必要があるわけで、想像力を働かせるのはジャッジまでの流れであったり、競技者の心情の部分で十分です。

それ以外は見えたものしか材料になりません。

だからこそJリーグでも誤審になったりするものが存在するわけですが、見えなかったものについては判断することができないのです。

・・・で、見えるように努力をしなさいという結論になるのですが、それはまた別の機会に書くこととします。

もう一点。

私は審判としてフィールドに立つ時と、競技者としてフィールドに立つ時と違うと言われますが、それは当たり前だと思っています。

審判は勝ち負けは関係ありませんが、競技者は勝ち負けを含めてこだわりがあります。

そのため審判としての自分を、競技者の時にあてはめられるのは嫌います。

私は競技者としてフィールドにいる時はファイターでしかありませんから。