カテゴリー: 少年コーチのつぶやき

コーチとしてプロとアマチュアの違い

前にピアノの指導をされている方に、厳しいながらも理解をさせる言葉を使う方と、言葉や物理的な体罰を使う方についての話をしていただいたことがあります。

似合わないかもしれませんが、工藤は子供の時にピアノを習っており、たいへんに厳しい先生についていたのです。
ただし、その先生は私に期待をするため、厳しいながらも理解させる言葉を使っていました。
たいへん優秀な先生でありましたが、私は完全に期待に沿うことができるレベルにまでは到達をすることはありませんでしたが、同じ時期に別の先生で厳しくてミスをすると物差しでたたいたり、怒鳴り散らすという仲間が担当されていた指導者のことを聞いたことがありました。

そのピアノの指導をされている方の話を聞いて、なるほどと腑に落ちたのはプロフェッショナルとはその事象などに対して、理解不足な人に説明ができるということを知ったのでした。

そしてその後、C級指導者講習会に参加をして、ほぼ同じことを伝えられたのと、講習の内容が今まで私が学んできたサッカーをまとめるものだったため、自分のサッカーライフを振り返ることになり、子供たちと接する時に言葉で説明がしやすくなったことを覚えています。

今もコーチとして現場に立つとき、ピアノの指導をされている方の言葉と、C級のインストラクターの言葉、そして自分のまとめが間違いなく役に立っていると感じます。

先日の怒鳴るコーチは結局はプロフェッショナルになりきっていないのだと感じますし、必要なコーチングができていないからこそ怒鳴る、もしくは選手たちを自分のコマかなにかと勘違いしているのではないかと思っています。

選手にも当然ながら人格はありますし、それぞれにスキルや考え方が変わってきますし、各個人は全く違うものであることをまず考えねばなりません。

もちろんコーチとは立場も人格も全く違うはずです。

それを「指導」という形であてはめようとすると、結果として「上から」の物言いとなり、選手の選択の幅を狭めてしまうことにもなりかねません。

当然ながら自己ができあがった選手に対しては、ティーチングも必要となってきますが、それは型にはめるのではなくあくまでも前提に対してどうアプローチをするかということであって、上からの物言いではなく考えるための材料になってきます。

社会人においてはコーチングよりも、より深いティーチングや共通理解が必要となってくるために、全く違うスキルができあがってきます。

そこからののびしろであったり、今までの経験やスキルからできあがった考える能力などはここによって違います。

ですが、チームとして一つの方向性を目指す際に「うちのチームはこうやっていく」という方向は、コーチや代表などが示していき、スタッフも含めた全員が共通の理解をしなければなりません。

それはプロチームであってもアマチュアチームであっても同じで、チーム内のコンセンサスが取れていなければ、そうそう勝てるチームなど作りようもありませんし、遊びレベルでいいならいいで、そのレベルでの満足度を得られれば良いのだと思います。

ですから実は社会人チームでは結構派手なコミュニケーションがあったりしますが、それは考え方の違いをぶつけるということであって、前向きにやるのであれば大いに結構だと思っています。

しかし、残念なことに選手の中にはそうではなく「自分が中心でありたい」という考え方や、自分だけの満足のためにやっている人もいるわけで、そういう人たちとチームの考え方が違う場合に、とんでもないトラブルが起きてしまうのも事実です。

アマチュアチームではそれこそ喧嘩になるわけで、プロチームでは移籍や果ては引退なんてことにもなりかねません。

還って、プロフェッショナルのコーチとは、育成年代であれ成年であれ、チームとしての基準や目標、それに対してのアプローチをまとめることができ、そのための方策を伝えられる人というのがあてはまると考えます。

そしてそこに「怒鳴る」「言い負かす」などということはなく、アプローチの説明や、今やっていることへの説明と準備、ゲームへのプランなどをまとめて確実に選手たちに伝えることになります。

それができてこそプロフェッショナルであり、アマチュアとは一線を画すことになるのだと思っています。

当然アマチュアのコーチの中にそういう方もいらっしゃいますが、全くの無償ボランティアの中には極めて少ない数しかいないのもまた事実です。

私が有償ボランティアも含めたプロフェッショナルなコーチに言及するのは、こうした理由によるものです。

コーチが怒鳴ったり、命令するのが理解できない

私はコーチとして怒鳴ったり、命令をしたりするのが理解できません。

年間100試合以上のゲームに携わるのですが、結構な強豪チームの育成年代のコーチでも、思い通りのプレーではなかったり、ミスに対して罵ったりするのをみます。

あれで何が生まれるんだろうといつも感じます。

子供たちを上手くさせたいんじゃなくて、いわゆるいい選手がでて勝利をすれば儲かるから?

大会に勝ち続ければ、入団希望者が増えてお金になるから、勝つためにやってる?

全てじゃないとは思いますが、まるで自分の今後のためにやっているんじゃないのというように感じる人もいます。

だから工藤のコーチをしているチームは勝てないんだよと言われるじゃもしれませんが、育成年代であれば試合中に罵声を浴びせたり、怒鳴ったりすることはありません。

それは彼らの試合のパフォーマンスは、コーチが伝えた結果であるわけで、それ以上は選手が自主性を持って考えなければならないからです。

テクニックや考え方は伝えることが可能ですが、実行するのは選手であってコーチではありません。
ですから私は試合中に選手に対して質問やアイディアは伝えますが、結論に結びつくことや、答えの一つを大声で怒鳴るようなことはありません。

叱るとすればチーム内の言われなきいじめであったりする場合で、後は選手の自主性に任せるしかないのです。

練習中は口やかましいですが、それもまた目的が違います。

答えを導き出すためのヒントを繰り返し伝えるのみです。

こうしろ、ああしろ、とどめは「そこでシュート!」なんて言ってしまうコーチにはなれません。

全ての試合に私が勝ちたいと思っても、選手が勝ちたいと思わなければ、試合には勝つことなどできませんし。

まして手を出すなんてことはあり得ないわけです。

合う合わないということ

今まで長年いろいろなコーチと一緒に指導をし、選手たちとふれあってきました。

そんな中でリスペクトはするのだけれども、どうしても合わない人がいました。
選手ではないのですが、選手からはそう思われているだろうなと感じることもあります。

今日はそんな話です。

いやだとかどうだとかそういうことはありません。

ただ、その人とプライベートでも一緒に仲良くいられるかと言えばいられないだろうなと感じるのです。

なんとなく一緒にいられるところが想像できないのです。

指導者としてはリスペクトしていますし、何より一緒に現場に立った人で「こいつとは無理」と思ったことはありません。

ですが、どうしてもそりが合わないのです。

まあ、それでも互いに大人ですから、指導の現場では一緒にやり同じ方向を目指しますが、一歩サッカーを離れると、話をほとんどすることはないわけです。

前に一緒だった方は指導者として尊敬していますし実績もすばらしいのですが、プライベートではほぼおつきあいがありませんでした。

その方は、残念なのですが今は指導の現場に立っていません。

ジュニアユース、ユース世代には必要な方だと思うのですから、なんとももったいない話だと思います。

どこかでまた復帰して、中学年代で活躍する選手を育ててほしいと心の底から願っています。

さて、もうひとつの合う合わないは「団体競技としてのサッカー」との相性です。

サッカーは団体競技ですから、団体で行うことそのものが苦手な人もいます。

私が経験した個人競技と言えばテニスとバイクになるわけですが、こちらは一人で黙々と(といってもバイクはチームスタッフがいないとやっていられません)こなしていかねばなりません。

小学校から中学年代に移る際、多くの子供がサッカーから離れていきますが、それは合う合わないというのも往々にしてあるように感じます。

そしてコーチの立場としては本当に残念ではあるのですが、決断した選手にサッカーを無理強いするのは酷だと思っているので強制はしません。

それが私のスタンスですし、スクールやコーチとしてそこにいたとしても、何一つ怒るようなことはありません。

その選択肢は選手自らが選んだことなのですから。

ただ、それがサッカーの選択肢であるとしたならば、私は選手にアドバイスすることができますが、サッカー以外の選択肢となると偉そうに人生の講釈をたれることはありませんが、選択肢をどうするのかというお手伝いはできると思っています。

先日、中学生の私から見て有望な頑張っている選手がサッカーから離れたと聞きました。

たいへんに残念ではありますし、小学校の低学年から見てきていましたから・・・ただただ残念という言葉しか出てきません。

ですが、次の競技を自分で選んで今後進んでいこうとしているのですから、彼の選択は尊重しなければなりません。

彼のチームのことですからいじめであったり、サッカー以外の何かではないと思うのですが、もし道で出会ったら「元気?」と声をかけてあげようと思います。