カテゴリー: 少年コーチのつぶやき

U-18の選択肢としてクラブチームという決定

高校年代でJユースじゃなきゃ高校の部活で選手権を目指すというのが一般の流れなのかもしれません。
プロを目指す選手達はJユースのセレクションでひっかからなければ、高校選手権出場に近いチームを選択するのは当然のことかもしれません。

じゃあもう一歩でもう一つランクが上げられるかもしれないという選手を、東京で言えばT4以下のチームでとなると、その先はなかなか厳しくなるのは間違いがないでしょう。

そんな中でありますが、選択肢として東京の場合はU-18のクラブチームがあると思っています。

何が部活動と違うかといえば、指導者がプロフェッショナルであるということが最も違います。

例えば葛飾区を本拠にしているジェファFCのユースは、國學院久我山高校で長年監督をつとめていらっしゃる、李済華(り じぇふぁ)さんが監督を務めている。

T1からT2に降格してしまったが、頑張っているのはトリプレッタというチーム。
昨年T1に上がったときは、修徳高校を破っての昇格だったのはすばらしかった。

ちなみに東京のJ下部以外のU-18は以下。

・FCトリプレッタ ユース
・杉並アヤックスサッカークラブ U-18
・リオ・フットボールクラブ
・杉並フットボールクラブ ユース
・三菱養和サッカークラブ ユース
・横河武蔵野フットボールクラブ ユース
・大宮ソシオフットボールクラブ U18
・西多摩SSS1993
・INAC多摩川 U-18
・nexo tokyo FC U18
・TFCシュトルツ
・ジェファ・フットボールクラブ U-18
・大森FC U18

三菱養和と横河武蔵野は別格としても、それ以外に11チームものクラブチームがある。

普通の高校に行くのであれば、こちらも選択肢として興味深いと思われる。

かく言う私も当時としては珍しいクラブチーム出身者であるため、クラブチームという選択肢を考えられる。

Jじゃなくとも、東南アジアのクラブであったり、オーストラリアであったり、高校でもトップクラスのチームの監督はコネがあるのだが、実はクラブユースの監督やコーチはプロフェッショナルであるため、それらの人と変わらないネットワークがある。
そのため普通の高校よりもその後の選択肢は広がるわけだし、職業としてのサッカー選手からその後の指導者などというルートもできてくる。

私達もいつの日かU-18にチャレンジをしてみたいと思っているが、苦労しているユースクラブをみるとその大変さがよくわかる。

だが、普通の高校よりもはるかに指導力としては魅力のあるクラブチームを少しでも増やすことで、東京のクラブチームのレベルももっと上がっていくことと思う。

今は高校の部活を辞めた選手が入っていたりするが、そうではなくて最初からクラブチームを目指すという選手が集まってくることで、もっと面白いクラブが見られるのではないだろうか。

Facebookでの新たな出会い

昨日、いつもからだのケアでお世話になっている南葛鍼灸整骨院の石川圭一郎院長がFacebookでタグ付けられていた写真を、ある若者がアップしていた。

その若者の名前は「西野隼人」くん。
バリエンテオンセフットボールクラブ という印西市のサッカークラブのコーチだった。

石川さんがその若者を高校時代ケアしていたということは、修徳高校のOBだなと直感的に思い、彼の名前で検索をするとやはり卒業生で在学中はたいへんな活躍をしており、一時はプロを目指して練習生もやっていたとのこと。

さらに故人であるお父さんも修徳高校出身でバリエンテオンセフットボールクラブの創設者であり、その中から隼人くんのような青年を育ててきた人。

こういうきちんとしたコーチングで学んできた若者が、次の世代を育て始めているというのはたいへんに嬉しいことであり、感動してメッセージを送った。

その返事は若者らしく元気で、素直なすばらしいもの。

サッカーは良い出会いをいつも私に与えてくれるもの。

バリエンテオンセフットボールクラブと西野隼人くんに、輝かしい未来が訪れることを期待します。

私の指導のベース八軒北小学校

私が20歳になる時に、サッカーのコーチを始めたのが札幌市立八軒北小学校でした。

実はこのころ自分の目標である職業に事情があって就くことができないため、自分はどういう人生を歩めばいいのかわからなかったときで、浪人のふりをして(予備校の模試だけはお金の関係で受けに行っていました)進路を考えていた時期でした。

私が卒業半年前までいた小学校から分かれた小学校が八軒北小学校で、自転車で移動をしている途中でグラウンドを覗き込んだところ、サッカーをしていたのでずっと見ていたわけです。
その時、グラウンドの中から呼ばれたのです「おい、サッカー見てるのか?だったら一緒にやらないか?」と。
今でもそうなのですがサングラスをはずしてみた先にいたのは、小学校の時に選抜でお世話になった遠藤先生でした。

遠藤先生は私の顔をみて「おー工藤くんじゃないか」と、なんと覚えていてくれたのです。
「ずいぶん体がでかくなったな。顔は変わらんが。」と笑いながらおっしゃっていただいたのです。
すぐにグラウンドに入り、子供達とジーパンのままでしたがサッカーを始めました。

終ってから遠藤先生が「もしよかったらコーチが足りないので、たまに来てくれないか。」とお誘いをいただいたのが、私がサッカーのコーチになるきっかけでした。
遠藤先生がいなければ、私はここまでサッカーに関わることもなかったでしょうし、社会人リーグに参加をしてアマチュアでもそこそこやらせてもらえることはなかったでしょう。

遠藤先生は当時も札幌のトレセンなどの指導をされていたようで、高校の後輩などもこの話をすると「遠藤先生にはお世話になりました」という奴もいるのです。

なんで遠藤先生を思い出したかと言えば、今週の日本テレビは20周年のTOKIOとタイアップして番組編成をしています。
私がコーチをしているときに、TOKIOの松岡くんが八軒北小学校にいたそうで、どうも会っていたようなのです。

実はTOKIOの松岡くんとはその後あることでお会いすることになるのですが、たいへんな好青年で私にも丁寧に接していただいたのです。

その松岡くんを見て、八軒北小学校と遠藤先生を思い出したのです。

今でも遠藤先生がいなければ、今のサッカーに対している私はいなかったのだと思っています。
ありがとうございます。