当ブログの検索ワードで人気のものに「八軒北小学校 松岡」というのがあったので、少しだけ紹介をしてみます。
私が二十歳の時にコーチとしてスタートしたのが八軒北小学校のスポーツ少年団でした。
監督は遠藤先生。
札幌で選抜やトレセンの経験があればわかる名前だと思いますが、私も小学校の時に選抜でお世話になった方でしたのでしたし、その後の関東でのサッカーについても先生の協力がなければ続けることができたのか不明でしたので、今でも感謝しています。
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自分の人生をどうしようかと思っていた春、実家はすでに八軒ではなくなっていましたが、たまたま八軒北小学校のところを通りがかったら少年たちがサッカーをやっていたのです。
ロードバイクにまたがったサングラス(ウェイファーラーⅡ)をした青年・・・今考えれば怪しいですね(笑)
ずっと少年たちのサッカーを目で追っていたのです。
そうすると金網越しに「サッカー見ているのかい?」と声をかけてきていただいたのです。
それが遠藤先生でした。
思わずサングラスをはずし「遠藤先生!琴似中央の時に選抜でお世話になった者です」とご挨拶をさせていただきました。
当然多くの生徒を見てきたであろう中のたった一人ですから当然覚えているはずもなかったのですが、先生は「サッカーやっていかないか?」と提案してくれたのです。
スニーカーでしたがぜひということで、小学生の中に入って一緒にサッカーをしました。
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終わってから先生が「体動くね、今なにやってんの?暇だったらコーチしに来ないか?」と提案していただいたのです。
人生に悩んでいる中で、自分ができることを提案していただいたのですから、その場で「やります」と返事をしたのが私のコーチ人生の始まりでした。
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で検索ワードの松岡くんです。
コーチとしての担当をしたのが四年生、五年生だったのですが(監督としては四年生でした)、サッカーに参加していない八軒北小学校の生徒に、現在はTOKIOの松岡昌宏くんがいたのです。
当然当時はそんなこともしらなかったわけですが、三十代の頃よく西麻布の仲間の店に入り浸っていたのですが、そこに仲間が連れてきてくれたのが松岡くんでした。
初めてあった時にそんなことを知らないで、でも私が北海道出身というところで食いついてきて、実は八軒北小学校でサッカーのコーチをしていたんだよね~なんて話をしたら「え?いつ?」ということになり、数えてみたら、彼が小学校五年生の時。
教え子である生徒の名前の一部も覚えていたので、その場で盛り上がった記憶があります。
その日に田原俊彦さんの「抱きしめてTONIGHT」を私が歌ったときは「俺、これのバックダンサーやったことあるんすよ!」といって、私の前で「フロントダンサー(笑)」をやって盛り上げてくれました。
子供が育つに従って西麻布界隈には顔を出さなくなり、彼とは数度あっただけでしたが、その度に「おっコーチ」などといじられ盛り上げてくれました。
それ以来、私は今も松岡昌宏くんのファンです。
・・・と他愛もない(苦笑)