カテゴリー: 監督のつぶやき

社会人旧メンバーとの再会

先日、米国で仕事をしているNSP社会人の選手だったメンバーが一時帰国していたので、飲み会に呼ばれて行ってきました。

終始サッカーの話やらくだらない話をしていましたが、とても楽しい時間でした。

北区会長杯に優勝を経験し、あの悔しい4部での敗戦を経験したメンバーでしたので、共有したものがたくさんあります。

なぜあの時に4部を勝ちきれなかったのか(優勝は全勝が条件でした)というと、一年目はJリーグ入りを目指すチームから分裂したチームと対戦し1-2で敗戦したこと、二年目は組織をきちんとまとめられなかったことと、監督である私が未熟だったのだと思っています。

当時は監督としては未熟だったのかもしれないと思うのは、勝負所で鬼になれなかったことではないかと思うわけです。

エースと、キャプテンの離反と当時は考えていましたが、離反であれば彼らをはずすべきだったのだと、今なら言えますし確実にはずします。

帰国したメンバーから「先日帰ってきてから参加したサッカーに「エース」がいましたが、当時のような輝きは全くなかったですね」と。

それはそれで残念なのですが、結局独りよがりであれば残念ながら周りから活かしてもらえないのかな?とも感じるわけです。

あの時のメンバーであれば、本来は2部で戦ってもおかしくないのですから、特に二年目の敗戦は、勝負に徹することができなかった私の責任でもあると感じます。

これは社会人チームとしての問題であり、NSPのU-12やU-15では考えられないことです。

社会人チームというのは、いくつかの方向性があると思いますが
・Jリーグ入りを目指して戦う
・少しでも上のリーグを目指す
・勝負を関係なく楽しむ
というのが代表的なものだと理解をしていて、私たちはその中の二番目でした。

ということは、勝負どころでは冷徹な判断も必要となるわけです。

つまりは徹しきれなかった私のミスでもあるわけです。

しかし、ジュニア、ジュニアユース世代にNSPという組織が望むことは「とにかくがむしゃらに勝利だけを目指す」のではなく、まずはサッカーを楽しむ、そのためにコーチは楽しむための工夫をしていくわけです。

そして楽しいサッカーを知った先に、試合をどう楽しむのか、勝つためにはなにをするのかを選手と共に構築していくのがNSPのサッカーだと考えています。

社会人で来る人は、その喜びをしっており、勝つことの意味を知っているからこそ、ジュニアやジュニアユースの選手に求めるものとは違うものを求める必要があるのです。

育成年代に慌てる必要がないと感じるのは、選手たちはいつ本当の意味で伸びるのか、タイミングが違うことがあるからこそ慌てなくていいのです。

確かに日本代表選手となった人と同じチームだった仲間に聞くと小学校からスーパーだったと聞きますが、伊東純也選手のように大学までは知られていなかった選手もいるわけで、それぞれ伸びるときは違いますし、幸運がめぐってくるタイミングも違います。

だからこそ私たちは勝利至上主義に走らずに、じっくりと6年もしくは9年間選手を育てていきたいと考えています。

未だに聞こえる監督の罵声

自分も育成年代のコーチとしている以上、いろいろなことを考えながらやっていますが、NSP CLUBを通じて行っていることのなかに、選手に対して暴言を吐かないというもの、選手を(感情にまかせて)怒らない(叱る場合には、その理由と目的を保護者に伝える)などという取り組みをしています。

それは育成年代における選手たちへの精神的な影響を考えるからこそのことで、厳しいというのと暴言というのは結びつかないものだと思っています。

練習は厳しかろうが何しようが、少なくともモラルハラスメントな言動をするのは、少なくとも選手たちに良い影響を与えないと考えます。

しかしながら先日目にした試合では、両チームの監督が選手に向かって「てめえ、何考えてんだよ」とか、「おめえよ、やれもしないことすんなよ」とか、仕事場であればモラルハラスメントで訴えられてもおかしくないような言葉がグラウンドに響いていました。

はっきり書きますが、よくこのようなクラブにお子さんを預けるものだと感じます。

強豪だから?プロが出たから?
だからなんなのでしょうと思います。

プロになったのは確かに途中、そのクラブで活動をしたことも原因としてあるでしょうが、ではそういう選手にその頃のことを聞いてみてどう思うかということを聞いたことがあるのでしょうか。

私の知っている選手の中にも、育成年代で暴言を吐かれていたけれども、無視したという人が何人もいます。

そんな監督の言葉など響いていないというのです。

しかし、プロになる前に高校年代で素晴らしい指導者にあっていたり、大学で自分で考えることが多くなった等々、小学校、中学校で肉体的には鍛えられたけれども、精神的にはまいらないようにそうした監督やコーチの声など聞こえないようにするしかなかったと言います。

私も小学校、中学校時代にそうした暴言を吐くような監督やコーチにあたらなかったため、今でもサッカーを好きでいられますし、それどころか審判として活動しようなどとは思わなかったでしょう。

クラブチーム選択のため、いろいろな保護者の方から相談を受けることがありますが、私はこうした監督やコーチがいるクラブはまずおすすめしません。

どんなにクラブとして強豪であろうと、そうしたクラブでは全部が成長できないと考えるからです。

その点私たちはどうしていくのか、どうするのかというのは、高木を筆頭として楽しいサッカー、プロを目指すだけじゃない育成を考え、それでもプロになりたい選手にはどういう環境を与えるのかを考えながら、これからもクラブを運営していきたいと考えています。

コーチとしてプロとアマチュアの違い

前にピアノの指導をされている方に、厳しいながらも理解をさせる言葉を使う方と、言葉や物理的な体罰を使う方についての話をしていただいたことがあります。

似合わないかもしれませんが、工藤は子供の時にピアノを習っており、たいへんに厳しい先生についていたのです。
ただし、その先生は私に期待をするため、厳しいながらも理解させる言葉を使っていました。
たいへん優秀な先生でありましたが、私は完全に期待に沿うことができるレベルにまでは到達をすることはありませんでしたが、同じ時期に別の先生で厳しくてミスをすると物差しでたたいたり、怒鳴り散らすという仲間が担当されていた指導者のことを聞いたことがありました。

そのピアノの指導をされている方の話を聞いて、なるほどと腑に落ちたのはプロフェッショナルとはその事象などに対して、理解不足な人に説明ができるということを知ったのでした。

そしてその後、C級指導者講習会に参加をして、ほぼ同じことを伝えられたのと、講習の内容が今まで私が学んできたサッカーをまとめるものだったため、自分のサッカーライフを振り返ることになり、子供たちと接する時に言葉で説明がしやすくなったことを覚えています。

今もコーチとして現場に立つとき、ピアノの指導をされている方の言葉と、C級のインストラクターの言葉、そして自分のまとめが間違いなく役に立っていると感じます。

先日の怒鳴るコーチは結局はプロフェッショナルになりきっていないのだと感じますし、必要なコーチングができていないからこそ怒鳴る、もしくは選手たちを自分のコマかなにかと勘違いしているのではないかと思っています。

選手にも当然ながら人格はありますし、それぞれにスキルや考え方が変わってきますし、各個人は全く違うものであることをまず考えねばなりません。

もちろんコーチとは立場も人格も全く違うはずです。

それを「指導」という形であてはめようとすると、結果として「上から」の物言いとなり、選手の選択の幅を狭めてしまうことにもなりかねません。

当然ながら自己ができあがった選手に対しては、ティーチングも必要となってきますが、それは型にはめるのではなくあくまでも前提に対してどうアプローチをするかということであって、上からの物言いではなく考えるための材料になってきます。

社会人においてはコーチングよりも、より深いティーチングや共通理解が必要となってくるために、全く違うスキルができあがってきます。

そこからののびしろであったり、今までの経験やスキルからできあがった考える能力などはここによって違います。

ですが、チームとして一つの方向性を目指す際に「うちのチームはこうやっていく」という方向は、コーチや代表などが示していき、スタッフも含めた全員が共通の理解をしなければなりません。

それはプロチームであってもアマチュアチームであっても同じで、チーム内のコンセンサスが取れていなければ、そうそう勝てるチームなど作りようもありませんし、遊びレベルでいいならいいで、そのレベルでの満足度を得られれば良いのだと思います。

ですから実は社会人チームでは結構派手なコミュニケーションがあったりしますが、それは考え方の違いをぶつけるということであって、前向きにやるのであれば大いに結構だと思っています。

しかし、残念なことに選手の中にはそうではなく「自分が中心でありたい」という考え方や、自分だけの満足のためにやっている人もいるわけで、そういう人たちとチームの考え方が違う場合に、とんでもないトラブルが起きてしまうのも事実です。

アマチュアチームではそれこそ喧嘩になるわけで、プロチームでは移籍や果ては引退なんてことにもなりかねません。

還って、プロフェッショナルのコーチとは、育成年代であれ成年であれ、チームとしての基準や目標、それに対してのアプローチをまとめることができ、そのための方策を伝えられる人というのがあてはまると考えます。

そしてそこに「怒鳴る」「言い負かす」などということはなく、アプローチの説明や、今やっていることへの説明と準備、ゲームへのプランなどをまとめて確実に選手たちに伝えることになります。

それができてこそプロフェッショナルであり、アマチュアとは一線を画すことになるのだと思っています。

当然アマチュアのコーチの中にそういう方もいらっしゃいますが、全くの無償ボランティアの中には極めて少ない数しかいないのもまた事実です。

私が有償ボランティアも含めたプロフェッショナルなコーチに言及するのは、こうした理由によるものです。