カテゴリー: 少年コーチのつぶやき

お父さんコーチへのエール

お父さんコーチには頭がさがります。

私は男の子がおらず、子供たちはサッカーをしなかったので、コーチとして自分の子供がいるところをタッチすることはありませんでした。

その代わりと言ってはなんですが、少年カテゴリだけではなく、社会人や中学、高校年代の監督やコーチを経験させていただけるチャンスをいただき、今も審判とプレーヤーをやりながらもコーチをする環境をいただいています。

練習のために家庭も仕事も放りだしてやっている人もいますし(もちろん家庭が理解してもらっているからできるのです)、平日練習や土日にきっちり休むために練習のない日に鬼のような残業をこなし、平日の会議が長引けばいらいらして「練習が始まってしまう」なんてプレッシャーをもってやっておられることでしょう。

そこまで人生に打ち込むことができることとは素晴らしいことだと思っています。

だからこそ、真剣に自分がどうあるべきなのかを考えてほしいと思うのです。

お父さんコーチの多くは「無償ボランティア」です。
基本「有償」でしか動くことのない私には、本当にすごいことだと思っています。

しかし、その無償と有償の違いは大きなものがあるのですが、それがどうこうとは言いません。

お父さんコーチは、小学校などであれば子供がお世話になっている間、コーチをするという方が大半です。
運営のために打合せ(飲み会もしょっちゅうですが(笑))をし、審判をやり、奥さんから家事をしないと文句を言われ、それでも子供がいるからとグラウンドに足を運んでコーチとして立っています。

そういう方が多くいるのはよくわかりますし、本当に頑張っているのだなと思います。

ところがそういうお父さんコーチの多くに「息子のいる学年しか興味がない」「強くなる意味が分からない」「サッカー経験がないから審判なんかできっこない」ということを発言する人がいます。

クラブとしてどうするのかという違いはあると思います。

無償ボランティアとしての限界で、クラブの指導はここまでしかできないというのは理解します。
だからスーパー小学生はより強いクラブに移籍したりします。
ですがそんなことがあっても町クラブはそういう無償ボランティアの方に支えられて動いているのが事実です。
そのため、クラブとしてできる範囲があるのはその通りだと思いますし、その中でクラブをどういう方向に持っていくのかというのは、それぞれのクラブの中に共通のものを持っていると感じています。

私がお世話になっている台東区でもブルーファイターズというクラブチームがあります。

ボランティアに支えられておりますが、東京都のTリーグでは1ブロックでも上位を獲得しており、東京都U-12も狙えるような位置にいます。

このチーム出身で、昨年ニュースにもなったのは柏レイソルユースからハンブルガーSVに移籍をした伊藤達哉くん、東京ヴェルディユースからトップへの昇格が決まった郡大夢くんがいます。

彼らを快く送り出したコーチたちを知っていますが、今も彼らが帰ってきたときに優しく迎え入れてくれています。

私はそういう立場にいないため、移籍をした選手への興味は半減以下となってしまいますが、ブルーファイターズのお父さんコーチたちはプリンスリーグでの活躍に目を細め、その活躍を応援しています。

こういうところでも、お父さんコーチの懐の深さは素晴らしいものだと思っています。

こういう人たちも多くいるのは知っていますし、私は彼らをリスペクトしています。

しかしながら、決してそういう人ばかりではないというのもまた事実です。

先ほども書きましたが、自分の息子の学年しか興味がなかったり、なぜサッカーをやるのかという意義を見出さず、ただこなしているというのは本当に子供たちにとっていいのか?という疑問がわいてくるのです。

実例ですが、お父さんコーチの息子の学年を監督していて、彼は息子をずっと試合に出し続けるということがあったそうです(その逆もあるようですが・・・)。
それが突出したプレーヤーであったとしても、同じ学年の保護者からは文句が出たり、快く思われていなかったり、陰口をたたかれるということが往々にしてあるようです。
さらにその監督は息子の卒業とともにコーチもやめてしまい、今では全く協力をしないので余計に陰口をたたかれているという人を実際に知っています。
(言っておきますが、ブルーファイターズじゃないからブルファイのコーチは気にしないでよ!(苦笑))

私のように二十歳からコーチをやっていて、当然ながら息子もいない中で監督をしていても、保護者とはすごく無責任なもので自分の子供にしか興味がない人というのをたくさん見てきました。
起用法に文句を言ってくる人もいましたし、出場時間が他の子よりも1分少ないなんてクレームを受けたこともあります。

私がコーチをする時のスタンスは、基本的に全員を出したいと思っていながら、しかし「この試合に勝てばカテゴリが変わる」というような試合には選手起用が偏ることがあるというものです。

プロフェッショナルなコーチではないため、その戦績でボーナスが出るとか報酬が変わるとかはありませんが、選手たちにもう一つ上の景色を見せたいというのは絶えず思っていますから、そういう起用法になるのはやむを得ないと私は考えています。

それが私自身もすべてではないと思っていますし、チームの底上げこそがそのクラブにとって良いものになるのであれば、絶えず平均的に起用するなどでもいいと考えています。

ですから、それぞれのコーチ(お父さんコーチだけではなくて)は本気で悩んでいるはずです。

少しお父さんコーチからはずれてしまいました。

とまあ、特に小学生チームではこういう環境や議論の中でお父さんコーチが多く活躍されています。

その中から素晴らしいプレーヤーが生まれてきているのは事実で、そこから別のクラブを経由して台東の二名のような選手もでてきたりします。

これが事実でありすべてだと思っています。

だからこそ審判のところでも述べましたが、グラスルーツこそ大事だと思っているのです。

たまに「D級指導者を取る意味が分からない」とかいう人の意見を聞くこともありますが、私はC級を受験した際に「人の教え」なり「JFAの指導要領」を考える機会に接し、何をしたらいいのかというのを整理することができました。

ですからコーチとして30年以上サッカーと接している中で、まだまだ学ぶべきものはありますし、時代によって変わっていくものも多くあるために、常に学ぶ姿勢というのが必要になります。

もちろん仕事や家庭で忙しくて、それらを犠牲にしてグラウンドに立っているお父さんコーチにも、そういう学びをするべきだと思っているのです。

審判は競技規則にかかれているものを施行するためにいるので、その範囲というのが明確に決まっています。

しかし、指導というのは指針はあったとしても、明確に何をすればいいのかというのはどこにも書かれていません。

共通だと思うのは選手を楽しませることだということだけだと思っています。

巧くするなんてのは、その先におまけのようについていることなのですが、そこに持っていくためにどうするのか、巧くなったら今度はその先をどうするのか、ずっと考えることがあります。

もう一度最初に戻りますが、本当にお父さんコーチたちには頭がさがります。

だからこそ、自分が真剣にどう取り組んでいるのかを考えていただきたいと願っています。

努力をなさっているお父さんコーチをリスペクトするからこそ、敢えて文章にしてみました。

もし、問題があるような点がありましたら、コメントやメッセージでいただけると幸いです。

レフェリーは一人

公式戦にはレフェリーが最低一人必要になります。

少年で8人制の場合にはレフェリーのみ、それ以外ではアシスタントレフェリーを2名任命することができます(できますというのは競技規則の第6条副審の最初に書いてあるからです)。

そしてそのレフェリーの権限とは試合の結果を含めて最終決定となります。

実はレフェリーとはそれくらい重い決定権を持っていることになるわけです。

では、保護者の方がお子さんの公式戦の試合を見ていて、「なんだよあの審判!」と思ったことはありますか?

ほとんどの方がきっとあると思います。

その程度の大小はさまざまあるかもしれませんが、自分の子供のチームに不利な笛を吹かれたときに、きっと同じようなことを思うことでしょう。

しかし、審判を守る立場から言えば、主審の権限とは大きいことと、それを背負うという責任があるため、かなり大変なことになるのです。

ですからもしそのジャッジに対して「なんだよ!」と思ったとしても、それをぐっとこらえて「選手たちのために頑張っているんだ」と考えてください。

しかし審判のみなさんにも覚えておいていただきたいことがあります。

きっとさまざまな理由でそこにいるのだという事情はお察しいたします。

お父さんコーチで人がいないので仕方がなく立っている方もいるでしょう。

若手で審判の経験を積みたいがために立っている方もいるでしょう。

そして、もしかしたら周りから審判活動が好きだと思われて、実は好きではなく使命感で立っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
(といいながら、それを楽しみ始めている私のような者もいます)

どんな理由で主審になったのかは問いません。

目の前の試合に精いっぱい取り組んでください。

そして、その試合を見ている人はいるのだということを覚えておいてください。

例えば服装や姿勢です。

選手がびしっと直立しているというのに、審判がだらしがなく挨拶をしてみたり、ショーツのひもを外側に出してぶらぶらさせてみたり、襟も互い違いでだらしがなく見えたとして、それを選手だけではなく選手の保護者やベンチの監督やコーチも見ています。

そのレフェリーが素晴らしいジャッジをしたとしても、たいていの人はその素晴らしいジャッジよりもだらしがなさの方を記憶してしまいます。

人の記憶であったり思いというのはそういうもので、背筋をピシッと伸ばしてキビキビとジャッジして、たまにミスがあったとしても、「頑張っているんだな」と感じられるような人であれば、ある意味少々のミスは「プロじゃないんだから仕方がない」と思ってくれる人が大多数です。

逆にそれでジャッジも観客の中で合格点であったなら「今日の審判はよかったね」ということになります。

つまりは「姿勢」というのがとても大切だということなのです。

そして、その試合に真剣に取り組んでいましたか?

ジャッジをする時の手をピシッと伸ばしていましたか?

フリーキックの場所を示す時に、ジョグではなくて歩いてやっていませんか?

そこを少しずつ変えてみれば、きっと観客からも選手からも最大のリスペクトをされると思っています。

お父さんコーチの中にも仕方がなくやっている人もいることでしょう。

しかし、あなたの子供がどこかの審判のお世話になっているように、あなたもレフェリーとなった時、そこに選手や監督、コーチ、観客は見ているのです。

そこでクレームをつけられたり、罵声を浴びせられることもあるでしょう。

ですが、それはきっとあなたのジャッジや姿勢が足りないと見られているのです。

そして、そこに「無償ボランティアだから」という甘えは捨ててください。

これはコーチとしてもそうなのですが、有償であれ無償であれ育成にはアマチュアリズムの甘えはできません。

「指導でうちのチームはここまでしかできない」というのはわかりますが、やらねばならないことというのはレフェリーは競技規則で定められているわけですから、その部分は満たしてもらわなくてはなりません。

それだけの責任を指導者としてもレフェリーとしても持っているのです。

そして、その覚悟がないのであれば、私はどうするべきなのかを、チームスタッフと相談して決めてほしいと思っています。

高校サッカー選手権決勝でいろいろ思ったこと

第94回高校サッカー選手権は東福岡の優勝で幕を閉じました。

國學院久我山は強豪を相手に備えて臨んではいましたが、結果は残念ながら0-5での敗退となりました。
私はこの結果を点差そのままの力だと思ってはいません。

しかし、後半直後のあのトリッキーなFKからのゴールで、國學院久我山はその後主導権を握り損ねたのだと感じています。

当クラブサッカースクールとしては、所属していた澁谷雅也くんを応援していましたし、名倉君は地元葛飾のリーズ出身、小林君は関係のある南千住広場サッカークラブ出身と國學院久我山を押していました。

しかし、東福岡のキャプテンは澁谷君と名倉君に前を向かせてドリブルさせない、サイドバックが上がった裏をつくという戦術を見事に実行し一点目を奪っています。
(それで、ミスをした小林君が交代することになりますが)

成太曰わく「全国から選手を集めているチームとそうではないチームの地力」という表現をしましたが、まさしくそういう違いも見られました。

ですが逆説的に言えば、呼び集めていないチーム、練習や遠征に縛りのある進学校であろうと、結果を残すことができるのだということを表現してくれたのだと思います。

もう一つはサッカーがフィジカルだけで勝負がつくわけではないというのを証明してくれました。

エースとしてはたぶん一番小さいであろう澁谷雅也くんを、対戦チームは脅威と見なしてマークしたわけですし、もしかしたら平均身長も一番低かったかもしれない中で、フィジカルで選手をかき集めているようなチームを打ち負かしたことは、高校サッカー選手権の中でどんなチームにもチャンスはあると示してくれたのだと思っています。

来年が最終学年となる澁谷雅也くん、名倉巧くんら二年生が、来年もう一度旋風を起こしてくれることを願っています。

それまでは、東京都の割当をこなして、情報を入れながら楽しみに待っていたいと思います。