カテゴリー: 少年コーチのつぶやき

あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いいたします。

今年は社会人の復活が重要事項となっています。
年代をそれぞれ育成するためのベースには、強い社会人チームが必要だと考えていますので精一杯努力してまいります。

スクールは今週水曜日から再開となります。
またお問い合わせをいただいておりましたが、本日から返答を再開いたしますので少々お待ちください。

さてさて、高校サッカーです。

今年の注目は青森山田と桐光学園でした。
理由は簡単で、良好とも育成を考えているというもので、特に青森山田は育成というのをよく考えていると感じられます。

はっきり書きますが、ユース年代の最強を決定するのはすでに高校選手権ではなくなりました。
トーナメントを勝ち上がるということは一つ素晴らしいことかもしれませんが、もっと素晴らしいと思うのは育成を考えることと、勝利に結びつけるためのプロセスだと考えています。

その意味において全国プリンスで戦っている青森山田、昨年関東プリンスを勝ち抜け今年は全国プリンスで戦う桐光学園は私の中で注目の学校でした。
青森山田は残念ながら敗退しましたが、桐光学園は準決勝に進出をしましたが、ただただ前にすすめるためだけのサッカーではないのを確認したため、納得をしています。

過去にもブログに書いたことがあるのですが、今はポゼッションサッカーが主体になっている気がして、その最高峰の一つであるバルセロナのサッカーを指向するチームが多いのではないかと感じてなりませんでした。
実際にいまだバルセロナを一番とする人が多いと感じるわけですが、私はそうは思わないのです。
バルセロナにはバルセロナのサッカーがあるわけですが、他の人やチームには他のやり方があるはずなのです。

私が所属した中学年代のチームは、パスサッカー主体で中央から華麗にさばいていくサッカーを指向していましたが、私が入った年代だけサッカーが違うといわれましたが、それはたった一人の個性がそう見えただけのことであって、実際そこまでのアプローチは他の年代と変わらないものであったと思っています。
まあその一人の個性というのは私でしたが^^;

私が今、サッカーを続けられるのは一つのことだけを求めた指導者ではなかったからだと思っています。
たとえば先ほどのチームで「うちのチームのサッカーはこうだからお前は使えない」と言われたとしたなら、私はゲームに出られないどころかサッカーを続けなかったかもしれません。
ところが当時お世話になった監督・コーチは足元はたいしたことはなくとも、圧倒的なスピードと体幹の強さとどろくさいゴールと、ごっつあんの位置にいる能力を評価してくれました。
そしてチームメートもそれを認めてくれたからこそ、私の居場所はそこにあったのです。

これが足元ないからうちのチームには合わないなんてことになれば私はもしからしたら選択するチームがなかったのかもしれません。

小学校のときにお世話になった監督は、私がコーチになるきっかけをいただきましたが、師にその話をした時に笑って「個性ってのはみんなあるんだよ。だから一箇所だけをみないで全部を見なさい。」とコーチとしての心得を教えてくれました。
そういう人達がいたからこそ私は育成の大切さを感じているわけですし、チームにあったサッカーが全てではないと思っています。
もちろんチームとしての方向はあるのですが、強烈な個性を持った選手がいて、その選手が輝いてチームに良いものをもたらすと判断すれば、そのときは変えたっていいわけです。

しかしながらどうも審判として、コーチとしてあちらこちらのチームをみさせていただくわけですが、そういうところは少ないのか・・・特に強豪といわれるところに少ないと感じてしまうのはどうしてなのかと悩んでいます。
もちろんJリーグの下部組織ではそうではなく個というものを考え、チームの中で機能させていっているわけですが、その少し下の強豪辺りがそうではないというのは残念な木がしてなりません。
当然ながらそうではないチームにも出会うわけですが、残念ながら数少ないように感じています。

朝練

今日は6時半からスクールの子がこの週末の試合にゴールキーパーとして出場するかもしれないというので、雨で流れた水曜の代わりに練習をしてきました。

チームではゴールキーパーの基礎的なものは教えているようですが、その理由だったり意味を考えることを反復させていないようでしたので、体験することによって得られるゴールキーパーの動きを学ぶということをしました。
どうしてこういう位置なのか、どうしてこういう体の向きなのか、ハイボールの場合はどうしてこうしなければならないか、実際に私がボールを蹴ったり投げたり、そのシチュエーションを再現し考えながらやることで、経験値があがっていきます。
特にゴールキーパーは経験が必要ですし、フィールドを後ろから一番広く見ることができるのですから、的確なコーチングによるディフェンス陣の配置とか、やらなければならないことは山ほどあります。

私は若い頃所属したチームでフォワードだけしかやっていませんてしつが、監督がゴールキーパーもやりなさいということで、フィールドの練習とゴールキーパーの練習をやりました。
監督としては視野の狭いフォワードにもっと広い視点を持たせること、得点をとられたときの屈辱などを教えたかったのだと思っています。
当時は中学校でもってコーチをしていたので、もしかすると監督は私が今のようにサッカーと関わるのではないかと思っていたのかもしれません。

その経験が今朝にもつながっているのだと思います。

さて、たまには朝スクールでもやるかな?(笑)

食べるということ

私はありがたいことに健康と体格に恵まれていると思っています。

大きな病気はしたことがありませんし、身長180cmで体重75kgはもう少し絞りたいかなとは思いますが、48歳という年齢を考えれば充分なものだと両親に感謝しています。

それでよく保護者の方に「どうすれば大きくなりますか?」と聞かれるのですが、「食べることです」といつも答えています。

私の父は身長168cm、母は152cmと大きくはありません。
それどころか母は小さい部類です。
遺伝的にも大きな親戚は少ないですし、肥満体がいないというのもあります。
それでもこんな私のような者もでてくるわけです。

ではなぜかな?と考えれば考えるほど「食べること」に尽きると思っています。

私の食欲は中学の後半からとどまることがありませんでした。
言ってみれば情人の域ではなく、フードファイター並であったのは当時を知っている友人ならわかっているはずです。

弁当箱は六つで、それでも足りなくて一日五百円の食費、朝夕はラーメン丼で数杯のご飯を平らげ、当然ながらおかずもそれに比例して食べていました。
牛乳は一日1リットル以上でしたので、親不孝をしたと思っています。

なぜそれだけ食べたかといえば、私は高校にはいる時で身長が158cmと小さい方でしたので、少しでも大きくなりたいというのと、スポーツをすると必然的に腹が減り、食欲もわいてくるのです。 

もし私の子供達がそれほど食べたとしたら、気絶しそうな食費かもしれませんが^^;
ありがたいことに、両親は食べさせてくれたわけで、高校に入ってからの3ヵ月で身長を17cm伸ばすことができました。

高校の部活はテニス、学校外ではサッカーのクラブチームでやっていましたが、それも伸びるのにタイミングがよかったのかもしれません。

しかし、食欲はその後はさらに増したのです。
背は高くなったのですが、体重が50kgを切っていたので、今度は筋肉をつけなくてはならないわけで、体が要求していたわけです。
卒業時には体重も72kgくらいになり、足も速かったため突貫ファワードとしてその後もサッカーを続けてくることができました。

それもこれも、どうしてかというと食べたからということになります。

社会人の監督も兼任していますが、とにかく今の選手は食べないと感じます。
ただ、最も信頼している選手の一人である吉崎はよく食べますし、活躍する中で考えてみると食べる選手の方が体力があります。

フィジカルが全てではありませんが、小さい選手でもしっかりと芯を持っているわけで、それは体づくりから考えればきちんと食べているわけです。

もちろん私の若いころのように食べすぎだろ!というのはあるかもしれませんが、それにしても最近の選手、特にジュニアユースの選手は食べないと感じています。