カテゴリー: 審判のつぶやき

そして今度は審判研修へ

S2級を目指すために必要なのは、東京都社会人チャンピオンシップの割り当てがあることです。
それがまず通過点でしかありません。

その大会は研修もかねており、私の場合は一日に二度審判としてゲームに入ることでした。
11日の同大会で、第四審判員とアシスタント2の位置でジャッジと運営に参加することになり、これがスタートと思うと緊張しているというのが本音です。

場所は駒沢補助球技場なのですが、A2の位置ですと真後ろがちょうど客席になり、T-15と高円宮で入った時には保護者がうるさいくらいでした。
今度の社会人は彼女とかが来ているのか?などと思ったりもしています。

NSPクラブとしては現在S3級が5名おり、今後若い世代にはSRを目指すくらいの手伝いをしていこうと考えています。
先日私が受けた指導者講習もそうですが、同時にサッカーを知る、クラブを運営するという意味では審判も同様に重要なものになります。
現役の選手では「審判なんかやりたくない」「罰ゲーム」と思っている人もいるようですが、彼らも審判がいなくてはゲームもできないことは気がついているはずです。
そりゃ私も審判よりゲームにと思いますが、これはアマチュアでは相互に行うのが基本で、自分だけがゲームに集中するということは許されないものです。

その中に審判として上を目指したいという人が出てくればラッキーだなと思うくらいですが、しかしNSPクラブとしてはそういう世代を育てて生きたいと考えています。
(当然現役選手などのC級指導者講習会受講と補助も考えています)

指導者と審判と選手・・・これら全部を育てるのは大変かもしれませんが、指導者は高木、審判は工藤、選手は二人とそれ以外という感じで当面は進めてまいります。

それからNSPクラブのホームページにもニュースとして挙げましたが、工藤が平成20年度台東区サッカー連盟審判部委員となりました。
これは日ごろお世話になっている台東区(NSP SIMBAが参戦中)からお誘いをいただき、今後も同区のサッカー振興のため期待をされてのことだと考えております。

NSPクラブとしては下町五区+1(葛飾、墨田、台東、江戸川、足立+北)をカバーするべく動いているので、非常にありがたい話だと考えております。
今後も高木、工藤だけではなく、NSPクラブとして地域振興、地域サッカーのため努力していきます。

応援よろしくお願いいたします。

審判とは奥が深いものなり

18日は台東区区民サッカー大会決勝トーナメント一回戦の主審を務めた。
まだまだS3級として「勉めた」というのが正解かもしれない。

私は比較的選手とコミュニケーションを取りながらゲームを進めるタイプの審判であるので、アピールとクレームが比較的少ないと考えている。
やはり審判の経験が少ないと選手と話をせずに黙々とゲームを進行することがあるのだが、選手が納得がいっていない状態でゲームが進んでしまってその感情が爆発することがある。
それをさせてはいけないのが主審の役割の一つでもあると考えている。

18日には同じ台東区連盟の二見さんというS3級のベテランレフェリーが外から見ていてくれたので、いろいろとアドバイスをいただくことができた。
自分では気をつけていると思っていても、やはりどこかが抜けてしまうというのが審判を人間がやっている限りありうることなのだろうと思う。
ただ、それを選手に納得してもらうためにも一生懸命選手とボールを見て、フィールドで汗をかきながら進行の手伝いをすることにより、選手も審判のジャッジを信用してくれるようになると考えている。

実は私はサッカーの時だけコンタクトレンズにしていて、例え打合せだとしても普段かけている眼鏡をかけないようにしている。
よほど目が疲れていたり痛んでいない限りコンタクトかもしくは裸眼にしているのだが、それは日ごろ顔を合わせるサッカー選手たちに「あの審判は目が悪いのだ」と思わせないためにしていることだ。
S3級の更新で講師に立った方が同じことをおっしゃっていたのだが、まさしく私は同じことを考えていて、選手に「お前は目が悪いから」と言わせたり思わせたりしないようにするために、なるべく眼鏡をしている姿を見せないようにしている。

まあここに書いてしまっているのでばればれであるが、私は乱視があり若干の近視であるため裸眼でもなんとかなる状態なのであるが、仕事の時にはそれでは目が疲れてしまうので眼鏡をかけているということなのである。
そんな程度の視力であったとしても、「眼鏡=目が悪い」と思わせてしまうのは避けなければならないと考えているのだ。

今日、18日に審判をして負けてしまったチームのホームページをみつけたのでリンクのお願いをした。
試合終了後に一人の選手が着替え終わって、ぼろ負けの状態であったにも関わらず「いいジャッジでした」とおっしゃった。
本当にそうなんだろうかと自問自答していたのであるが、リンクのお願いを代表の方にメールをしたところ「今年一番のジャッジでした」と返信をいただいたのである。
今年は派手に差がついた試合を二度吹いたのであるが、一度目は本部が「よく度胸を持っていいジャッジをしました」と言っていただき、二度目は負けたチームの方々からそう言っていただけたのは、今後の審判人生においての励みになるのは間違いがないだろう。

主審とはゲームをコントロールするといわれるのであるが、私は審判が目立たない試合ほどいい試合なのだと考えているため、主審がいるかいないかのうちに素晴らしいゲームが終わったと思われるような試合を経験してみたいと思っている。
まだ43歳、審判としては17年ほど都道府県では行うことができる。
その間に選手も、観客も、本部も、副審も、自分も「素晴らしい試合だった」と思えるような、そんな試合を経験してみたい。

審判の意見は選手の心を乱すことがある

昨日は北区1部リーグの試合であった。

私は前日の疲労が残ったままであるが、人数がぎりぎりのためスタメントップ。
選手として戦ったのである。

試合は前半で2-0となったのであるが、上がっている時に相手GKのパントでボールを離す位置がペナルティーエリアを越えているため(と見えた=副審よりGK位置に近い時に二度)、主審にインターバルの際にそのことを伝えた。

主審は「審判の裁定が最終判断だから」と、通常私も言う言葉を発したのだが、その直後やってきた副審に「なにかあったのですか?」と問われた主審は「パント位置が出ているということらしいのですが『聞き流しましょう』」と私がそばにいる段階で言ったのである。

言葉は悪いがこの瞬間に頭をよぎったのは「くそ審判」である。

私はレフェリングにおいて主審、副審の裁定は最終決定であると笛を吹いているもしくは旗を振っているときには思っているのだが、それと選手の意見を「無視しよう」と言葉として発することは違うことだと思う。
主審としてゲームの中にいる時、選手の言葉がクレームなのかアピールなのかそれともなんなのかを見極め、適正な裁定や選手のチェックをするのであるが、決して選手の意見を「無視しよう」という言葉は出さないし、表情にも出さないようにしている。

どちらかといえばゲームが止まった時に選手にアドバイスする際には極力笑顔で伝えるようにしているし、カードにまで値しないが少々注意するべき点は厳しい表情で臨むようにしている。
おかげで試合があれることもなく今年も進行できたわけであるが、先の審判のような言動が試合を荒れさせることになるのは間違いがないだろうと感じる。

都リーグにしてもそうなのであるが、審判を「罰ゲーム」として捉えているから日本では審判が育たないし、チームとして審判の重要性を教えていないからこそ審判へのクレームが多くなる。
アピールを超えたクレームはカードの対象である。

審判としてカードを出したくないと思うことはあるが、しかし厳しく臨まなければならない時には毅然とした態度でなければ試合が荒れるのは当然である。

人の振り見て・・・である。