カテゴリー: 審判のつぶやき

久しぶりに審判ネタ

東京都のアクティブレフェリーになってからかなりの年数が経っていますが、今年は特に割り当ての多い年だと思っています。

昨年でさえかなり多いと思っていたのですが、今年は昨年一年の割り当て数をもう少しで越してしまいます。

それだけ東京都の審判員が足りないということなのでしょう。

なにせ今年は都学連の3・4部の試合の審判も入らない(貴重な主審経験の場です)くらいですし、平日夜の高校生のTリーグの審判なども割り当てられています。

そんな中で、審判として(主審・副審双方で)全国区の学校の試合などを担当させていただくことがあるのですが、きちんとジャッジをするということも当然なのですが、なによりも争点をできるだけ近くで見るということを心がけています。
そういう試合は強化担当や学連、トレセンの審判が担当することが多いのですが、おっさん審判の中でも「まあ工藤ならなんとかなるだろう」と割り当ててもらえることに感謝をしています。
しかし、それに応えるためには日頃の体調管理というのが重要になってきます。

自分の選手としての練習会では派手な腰痛のため全く走ることができなかったため見事なまでに落とされましたが、審判としてはそうしたミスは選手のために許されるものではありません。
審判にとっては担当している一試合かもしれませんが、選手たちにとってはもしかしたらその後の人生が決まる一試合になるかもしれないのです。

ですから食生活にしても(昨年離婚をしたというのに・・・w)、トレーニングにしても手を抜くことのないように、自己管理が必要なのだと理解して今日も動いています。

このレベルで審判ができるのはあと少しだと思いますが、走ることができるうちは懸命に続けていこうと思います。

私の場合は極力カードを出したくないわけですが…

といっても、審判をしていて必要な場合には、警告、退場をしなければならないので、そこは規則に従ってやらねばなりません。

審判はそれぞれ研修などを通して、一定の基準を身につけるようにと協会から言われますが、審判の経験だったり、審判の癖だったり、考え方、試合の練度…さまざまな条件で変わってくることがあります。
だから審判によってはここまでは続けさせてあげたいと思って、ファウルを引きずっているファウルされているプレーヤーに対してのアドヴァンテージを見たりすることもあります。

もちろん、警告退場も同じように審判によって異なることもありますが、レッドカードの提示は大きくずれることはありません。
なぜなら、そのあたりは繰り返し研修などで学ぶからです。
ただし、それでも個人の差は発生します^^;

さて、最初戻って、特に一発退場をしてほしくないのは、審判報告書の2枚目を書かなければならないからでもあります。
レポートに事細かくらい事象を書くのですが、これが結構大変なのです。

まあ、それでも規則に従って、警告や退場はしなければならないため、一発退場があると「レポートになんて書こう」と思ってしまうのも事実です。

ということで、私の試合ではできれば一発退場を出さない選手たちの努力があるとうれしいかも^^;

そうそううまくは行きませんがかお

オフサイドの文言改定・・・面倒なだけなんですが

オフサイド
まだ俎上に上がっただけのようなのですが、ただでさえ難しく感じる人が多いオフサイドが変わるとなるとまた「複雑になるのではないか」と心配になってしまいます。

オフサイドの解釈変更を検討 国際サッカー評議会 – MSN産経
2013.2.4 23:13

 サッカーの競技規則の改定を協議する国際サッカー評議会(IFAB)が来月の会議でオフサイドのルール解釈の変更を検討すると4日、AP通信が伝えた。焦点になっているのは競技規則で「オフサイドの位置にいることで利益を得る」という条文の解釈。国際サッカー連盟(FIFA)審判委員会の提案は、たとえオフサイドの位置にいても、相手選手からのバックパスなどを受けた場合は反則にならないと明確化するよう求めた。(共同)

記事を読んでみると要は「オフサイドポジションにいても反則とならないこと」を明文化しようということがわかります。

でもこれっていります?ってことです。
審判の研修会では守備側選手のバックパスについて触れることはありませんが、それをオフサイドと取ることは現在でもありません。
それはルールにおいて前方へのパスやキックに対してのものであるからで、後方へのパスへのアタックは含まれていないからです。
そういう意味で「必要なの?」と思ってしまうのです。

もちろん必要な変更はきちんとするべきでしょう。
例えば服装規定でジャージー(原文まま)とショーツとしたのは、ワンピースのユニフォームが出てきたからで、それが良い悪いは別で運営側も含めたサッカーに関わる人が混乱しないためという目的があるからです。
しかし今回の明文化はいかがなのでしょうか・・・と感じます。