日本vsイランの審判評

昨夜、アジアカップの日本vsイランが行われ、現在アジア最強と言われるイランに3-0と勝利をしました。

結果はさまざまな人がレビューしているので、私は審判をフォーカスしてみようと思います。

後半立ち上がり、酒井へのイエローカード提示については疑問が残っています。

あのシーンで、手を出しているのは事実であるためハンドリングは採用すべきだとは思うが、あのシーンで得点につながるチャンスとなったのか、また故意にシュートを邪魔したなどのシーンだったかと振り返ってみると、あれはボールが正面に来たので目をつぶってよけたと感じられました。

このシーンをハンドリング&イエローにしたのであれば、日本の二点目につながったイラン選手のスライディング時の手に当たったハンドリングを採用しなければ明らかにフェアな笛ではなかったとなりますが、少なくともPKとしたのは間違いではなかったわけです。
そのため、なぜVARまで必要としたのかがわかりません。

自分で正しい判定であると言うのであれば、吉田の得点取り消しと同じ手法でPKを蹴らせて、キックオフ前までにVAR側にチェックを任せるというのもありだったのではないか・・・などとも感じました。

なぜなら、彼は正しい判定したと感じるからです。

後半立ち上がりの酒井への警告以降、日本に不運な時間が訪れます。

私は「レフェリーは試合中に怪我でもなければ変わることなどない」と思っているため、例えば明らかにイランの競技者に当たってコーナーキックをとられたシーンなどを考えても、仕方がない次!という風に切り替えねばなりません。

その切り替えを昨日の日本はできていたのではないかと予想をしています。

その後しばらくの時間帯は日本に不利な時間帯が続きますが、56分に南野が倒されたシーンでイランの競技者が主審にノーファウルまたは南野のシミュレーションを訴えていたように見えたシーンで、南野が切り替えて立ち上がり大迫のヘディングシュートにつながりました。

レフェリングの不運を乗り越えた先に歓喜があったのですが、あのシーンにおいてはレフェリーのミスは特になく、イランの集中力が切れたということだと理解をしています。

そして二点目のイラン側競技者のハンドリングへとつながるのですが、このあたりでは逆にイランではなく日本への風をイランの競技者は感じてストレスを感じていたのではないか?と思います。

決してレフェリーのジャッジが悪いわけではないのですが、なぜか自分の方へジャッジが転がらないというのは往々にしてあるわけで、その切り替えができなかったのが昨日のイランだったのではないかと考えるのです。

その後もレフェリーは実はしっくりこない感じがありましたが、それはアズムンに対しての注意が欠けていたからではないかと感じます。

なぜなら、アズムンは残念ながら四年前もそうでしたが、短気を起こして相手競技者へフットボールコンタクト以上の「攻撃」を仕掛けているのが明白だったのですが、レフェリーから注意された様子でもなく、その後の大迫への蹴り、柴崎への暴力となってしまい警告の対象になっています。

ここも問題なのですがアズムンはあのシーンでは暴力ですので「退場」ではないか?という議論が起こってもおかしくないと思われます。

また、イラン側競技者のストレスが爆発してしまい、結果として最後はきれいにしめることができませんでした。

試合を通してムラが目立ちましたし、明らかなるミスジャッジ(イランにとっても、日本にとっても)が散見されるわけで、アジアカップの準決勝に割り当てられた審判員としては、物足りないと感じました。

試合後の振り返りがどうだったのか気になります。

VARは善か悪か

のようなタイトルを書くとドラスティックな感じがするのですが、個人的にVARは使うべきだと思っています。

なぜなら「より正しい判定」を導き出すツールとして有用だからです。

しかしながら、昨日のアジアカップ日本vsベトナム戦でのふたつのVARによるノーゴールとPKの判定については意見があるのでブログとすることにしました。

昨日の日本のゴールに見えたシーンは、ハンドリングのファウルということで得点が取り消されました。

こちらは時間の経過を見ていないのでなんとも言えませんが(まだ仕事帰りのためテキストでしか見ていない)、もしキックオフが行われていたのだとしたなら、遅すぎるのではないかと感じます。

そして堂安へのファウルですが、こちらは問題が山積しています。

1.引きのテレビの映像でさえ「足を踏まれたのでは?」とわかる程度
2.踏まれた後足が当たったかについては議論が必要だが、一つ目の見逃しはどうか
3.PKに移行するまでのVAR判定までの時間が長すぎる

すぐにこの三つが出てきてしまうほどです。

まず1についてですが、あのシーンをPKととることができない主審とはなんなのだろう?と思ってしまいます。

確かにピッチレベルでどうかということはあるかと思いますが、では自分が競技者であったとして(しかもファウルした側の)もしあれがファウルと判定されなかったとしたなら、「助かった!!!」と思うレベルでしょう。

そしてVARじゃなければ判断できない主審ということであれば、あのシーン主審は何を考えていたのだろうか?と感じるのです。

3についてですが、VARの判断の精度と正確性がまだ低いということでしょう。

正確性についての議論は少ないと思いますが、精度・・・スピードが遅いということです。

かなりの時間が経ってから「今更PK」という判定だったように思うため、VARの練度が必要になるということなのかと思います。

つまりは1も3も審判員のパーソナリティーによるということになってしまい、結局人次第ということになってしまうのです。

そう考えると矛盾してしまうのですが、VARが悪にも見えてきてしまう部分があり、それはゲームの進行を無視してしまうため、いきなり有利、不利が入れ替わることがあったり、チャンスが変わったりとなることは、ゲームそのものを壊しかねないと感じます。

正しい判定のためのVARであるのですが、それがサッカーのゲームを壊してしまうとなってしまうことは、サッカーというゲームを変えてしまいかねないものになっています。

それが善か悪かという判断は、結局のところ運用する人に委ねられるわけで、では見える側の審判と見られない側の審判との関係をどうするかなど、非常に難しいものになってしまいかねません。

もう一点最後に言えるとしたなら、見える側の審判の質が今以上に問われることになりそうな、そんな気がしています。

そこで咲くにはどうするか

東京都社会人のチームに元Jリーガーだの、海外経験者だのといったのが普通になってきましたし、上位を狙うチームでは当たり前にJリーグ引退直後の選手などもみることがあります。

しかしながら彼らの多くに苦言を呈したいのは、自分が今いる場所はどこですか?というものです。

Jリーグなら主審は1級や国際審判員となりますが、東京都では2級か1級となります。

また審判の担当カテゴリの関係もあり、当然ながらJリーグとは比較にならない審判ということは当たり前です。

ただし審判員も競っていますし、きちんと学んでいますので、決して完全に劣るなどということもないと思っています。

で、よく聞くのが格下の相手と戦っているときに「レベルが違うんだから注意してよ」などと平気で審判に言葉を向けるのです。

そしてよく見ると審判はファウルをとっているにも関わらず文句を言われているなんていうのが散見されているわけです。

ちなみに本当に一流プレーヤーと言われた選手が東京都一部などで戦っている姿を見ましたが、そんなことは一言も発すること等ありませんでした。

粛々とレフェリーの判定に従い、次のプレーに向かう・・・それが当たり前のことだと感じます。

しかしながら、中途半端に「自分はうまい」とか「自分はこんなレベルじゃない」と見える選手ほど、相手競技者やレフェリーをリスペクトしないで文句ばっかり言っているイメージがあるのです。

だからこそ言うのです「あなたがサッカーをしているのはどのレベルですか?」と。

渡辺和子さんの作品で「置かれた場所で咲きなさい」というものがありますが、全く同感で「いまいる場所が自分のいる場所」であり、そこで咲くことがまず第一なのです。

そこで咲いたのち、また別の場所で咲く機会があるかもしれないのですが、そこで「自分はこんなんじゃない」などと思ってしまえば、チャンスはやってこないのです。

そりゃ異議を言いたくなるシーンも外から見ていて思うことが私だってありますが、そこは自分のいる場所を考えてぐっとこらえ、次のチャンスを待つべきなのです。

多くの人がそこで花を咲かせ、次のステージへと導かれることを見てみたいと思うからこそ苦言を呈します。