と優しく書き出してみましたが、世の中には一生懸命やっている審判が数多くいることは理解しているうえで苦言です。
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あるカテゴリを見ていた時に、副審はオフサイドの判定をしなかったのですが、オフサイドラインから20m以上離れている主審が、オフサイドの判定をしました。
そのシーンを見ていたのですが、特にオフサイドポジションにいた競技者はいませんでしたし、抜け出したのは間違いなくオフサイドラインに引っかからない位置でのパスでしたから、オフサイドはないと副審も判断したはずです。
しかしながら、その主審は笛を吹いて間接フリーキックの合図をしたのでしたから、さすがに呆れました。
また同じカテゴリーで見たのは、オフサイドのルールを確実に理解していない副審がいました。
パスが出た時にオフサイドラインより前に競技者がいて有利になる場合採用されるわけですが、それ以前にパスが出た時にはオンサイドであるにも関わらず、ボールを受けた位置がオフサイドラインの前だからと振り続ける副審がいて、これまた呆れたわけです。
まあこれらは修正することができるため、きちんと学んでいただきたいと思うわけですが、こういう審判がいる場合には残念ながら競技者が大人になれない場合には試合が壊れます。
案の定前者は壊れたわけですが、それは競技者視点から「ありえない判定」と思われたわけですから、真摯に反省をしていただきたいのです。
しかしながら試合終了後も文句を言っていたのは主審であり、競技者はどちらかといえば怒りよりも呆れが態度にでていたのです。
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私もミスジャッジをすることがあると思ってやっているわけですが、それをどう正しい判定にするためどう考えるかということを繰り返しながらやっています。
オフサイドの見極めなんてのはそれこそ何千回と繰り返し、それを反芻し、セミナーやトレセンでもさらに磨くための努力をしています。
それは競技者にとって「正しい判定」「理解される判定」をするためのものであり、自分のためだけにやる活動ではありません。
勘違いしないように言っておきますが、サッカー競技の主人公は競技者でしかありません。
審判は添え物であり、競技者にとって公平、公正であらねばならず、また競技者の安全のために存在しているのです。
そういう審判こそどの年代にも求められる審判像であり、たとえ四種であっても競技者をリスペクトしながら的確な伝え方を考えることで「威圧的にならない」大人な審判となるのだと理解しています。