ラトビア戦から何を得るか

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平成25年最初の日本代表の試合であったが、果たしてあの試合から日本は何を得ることができたのだろうかと悩んでしまった。

結果は3-0というものであったが、最終予選に出てくる相手とは質が違う、また正直なところ相手として不足を感じる対戦をして、代表として意味を感じることはあまりなかった。
だがその中でも何を得ることができたのかといえば、まずは遠藤保仁がいない日本代表をテストすることができたのは大きいと感じた。
しかしながら残念なのは、現時点において細貝が遠藤とタイプは違ったとしても、代表が同じレベルでのパフォーマンスを得られたのかといえば、残念ながらそうではなかった。
それは前半と後半での攻撃の種類、遠藤からの二アサイドのパスだけではなくファーサイドのパスも含めて、前に行く時のパスの種類や精度があまりにも違いすぎたと感じる。

GKは正直なところ暇だったと思われるのだが、こういう試合で新戦力を試しておく必要があったのではないかと思う。
DFラインはあまり動かしたくないというのは監督として理解できるのだが、GKだけはオプションで変更することを考えれば、今野と吉田にもう一人GKを組み合わせてコミュニケーションをとる練習をしておくべきではなかったのだろうか。

トップはなぜ佐藤寿人を試さないのかちょいと理解ができない。
Jリーグで活躍した選手を代表戦で出すことがないのはいかがなものなのか?と感じる。
少なくともJリーグで活躍する選手を出さない理由がわからないし、出さないことによって海外組しか優先されないということが定着してしまえば、国内リーグのこれ以上の発展を望むことはできない。
国内での代表戦であれば今の日本であれば欧州組を召集しなくてもある程度の国とは対戦できる力があると感じるし、欧州で行われる代表戦であれば海外組を中心としたチームで臨むのも移動や疲労、そして意義を考えればいいのではないかと思う。

なにせブンデスリーガに所属する選手だけで日本人のチームを組むことが可能な人数がいる状況で、オプションとしてさまざまな手法をとることができる。
そこには「日本代表の方向はこれだ」と決まっているものに対してアプローチできるレベルが達した選手40人ほどが絶えず選出されるような状況があれば、本番での23人はその中からベストパフォーマンスを持った選手を選べばいいということになる。
まして40人が絶えず入れ替わることのできる可能性があれば、当然ながら選手達も「代表」というものへの目標が近く見えるはずだ。

日本代表はサッカーを愛するすべての日本人の代表である。
だからこそ良いプレーを良い環境で、そして勝利を得てもらいたいと感じる。

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