サッカーをはじめようと思っているお子様の保護者の方々へ

子供のサッカーにおける経験は、単なるスポーツの体験ではありません。
NSP CLUBでは、サッカーを通じて、体力向上はもちろん、協調性や責任感、そして目標にアプローチして最後までやり遂げる力を育みます。

そのために、経験豊富なコーチ陣を擁し、選手一人ひとりの個性に合わせた指導を行います。
※コーチ(アシスタントコーチを除く)は少年指導のプロフェッショナルのみです

と、NSP CLUBのウェブサイトの最初に記載しています。

これだけでは言葉が足りないのですが、キャッチフレーズとしてこのような形とさせていただいていますので、こちらにて解説をしたいと思います。

・子供のサッカーにおける経験は、単なるスポーツの経験ではありません。
→私たちにはすごく重要なことです。勝利至上主義にならずに、子供たちの成功体験であったり、重要な体験を提供していくためには、ただ試合を行って、勝利を重ねることがすべてはないと考えます。
個々人の活動としてではなく、集団スポーツにおける成功体験の中には、チームとしての方向性の一致による、日頃かなわないような体験があります。
それらを通して、子供たちにただのスポーツの体験ではなく、将来につながる成功体験を得てほしいと考えて、私たちスタッフは選手たちと接しています。

・体力向上はもちろん、協調性や責任感、そして目標にアプローチして最後までやり遂げる力を育みます。
→サッカーですから、体力向上は当然のことです。
協調性は上で述べた中に含まれている通りで、責任感はそれぞれの選手が、それぞれの場所で責任をもって取り組むテーマがありますので、コーチと選手とでその目標達成を目指します。
そして、その目標に対して最後までやり遂げるのを応援、またはサポートするのが私たちコーチだと考えます。

・そのために、経験豊富なコーチ陣を擁し、選手一人ひとりの個性に合わせた指導を行います。
→コーチには「コーチ」「アシスタントコーチ」「パートタイムコーチ」「サポートコーチ」がおります。
この中で経験豊富なのは、コーチ、アシスタントコーチの一部ですが、特にコーチに至っては、クラブチームにおいての十数年もの指導実績と結果を残しており、特に少年期のコーチングに適した人選を行っています。
そして、コーチは選手一人ひとりに対して丁寧にコーチングを行い、先に挙げた目標達成のために選手とコーチで最後までやり遂げるための努力を行ってまいります。

高木、工藤が考えるプロフェッショナルなコーチは、プロ選手としての経験というものではなく、少年期指導に適した、コーチングを言葉や図解して選手に伝え、実行するためのアプローチを手伝うことのできるコーチだと考えています。

小玉、松浦はそれらに当てはまるだけのスキルを擁しており、NSP CLUBの選手たちに目標設定と、その伴走をできるだけの人材と自信を持っています。

現在、NSP CLUBでは体験者を募集しています。

毎週土曜日、栗ケ沢小学校の練習で受け付けておりますので、こちらよりお申し込みください。

小学校1~3年生、幼稚園年長 大歓迎です!!!

NSP CLUBの保護者向けイベント

NSP CLUBは、現在少年のチーム(U-12)を運営していますので、クラブチームとしてはサッカー以外のメリットもということで、専門家監修のイベントをやることにしています。

その初回ということで、嚙み合わせと歯の大切さをテーマにこの週末に行う予定としています。

実は嚙み合わせや歯はスポーツではとても大切ですし、生きていくうえでも大変に重要なパーツでもあります。

私はありがたいことにすべての歯が残っている状態なのですが、噛み合わせを変えたことが小学校5年生の時にあり、スポーツでのパフォーマンス向上につながりましたし、なによりも見た目であったり、発音の部分においてコンプレックスがなくなったのが大きかったと思っています。

私の場合はそんなに大したことをしていなかったのですが、小学校3年生の時に顎をずらしてしまって噛み合わせがいわゆる受け口になってしまったわけですが、それがちょっとしたことだったというのに、もしかしたら一生こうなのではないかと思っていました。

しかし、札幌市中央区にあった池田歯科さんのおかげで、当時はなかったテンプレートのようなものを装着して、噛み合わせを治すことができました。

初日で下の歯が上の歯と並んだだけで、うれしくて涙が出ましたが、半年をかけてきっちりと治すことができ、現在では全く問題が無くなりました。

また、噛む力が強すぎて奥歯を割って放置したままでしたので、虫歯になってしまった部分は今はすべて治しているため、噛み合わせについては全く問題がないため、スポーツにおけるパフォーマンスが落ちることはありませんが、残念ながら噛む力が「強すぎる」ため治療した歯が欠けたり、割れたりするものですから、マウスピースをしてスポーツをすることがあります。

80/20と一時期言われていたと思いますが、80歳で20本の歯を残そうというのは、生きる上で大切なものだからこそなのですが、噛み合わせは歯の残存にも関連することですので、歯をきちんと残す、噛み合わせをきちんとすることで、集中力が上がったり、口呼吸を防止したりと、それこそ風邪がひきにくくなったりするレベルの効果もあるのです。

ちなみに学力の向上も望むことができます。

クラブとしては今後、フィジカルの部分であったり、学習における効果などについてもやっていく予定で、少なくとも2か月に一度はこうしたセミナーを開催したいと思っていますが、こう宣言することで私の首を自分で絞めているような気もします(笑)

ですが、当クラブに入っていただいた保護者の方および選手に対してメリットとなるものであれば、こうして発信していくことで何かが変わってくると考えています。

NSP CLUBがこうした面で他のチームと差別化できればとも思いますので、今後も努力してまいります。

回顧

NSP CLUBをはじめて、18年が経とうとしています。

そもそもは1994年のシンバフットボールクラブからスタートしていますが、社会人の継続の難しさであったり、少年チームを立ち上げることの困難さは、いやになるほど味わってきました。

社会人チームをやめようと思ったのは、その参加の意識が低いことがあげられるのですが、本気でサッカーをしたければユニフォームは必要ですし、一人あたり月3000円程度の運営費、登録費が必要になります。

しかし、それさえ払うことができなかったり、払わなかったりする人が出たりする、審判をやりたくないと拒絶する人がでてくるなど、大人の醜さを知ったからやめたという部分があります。

「もっとゆるく考えようよ」という人もいますが、私はやるなら本気でやろうよというクチなので、私が代表という立場であれば、これらは受け入れられなくなってしまうわけです。

・・・と、方向がそれました。

2007年1月にプロサッカー選手からの引退した高木成太は、当初別のところで指導者としてスタートしたのですが、さまざまなことがあり横浜FCサッカースクールのコーチだけではなく、彼が中心となる組織を立ち上げるべく友人たちでプロジェクトを作ったのがはじまりでした。

葛飾区のステーキ屋で集まり、それぞれがお金を出し合ったのがNSP CLUBでした。

6月からスタートし、募集をかけましたが最初は誰も来ない・・・

誰も来ないグラウンドを2時間、高木と私できれいに整備していたこともあります。

このころ、シンバフットボールクラブを改称してNSP CLUBとし、東京都4部に参加していたCELSUS FCと合併をしました。

少年だけではなく、大人までを網羅するクラブをつくるべく運営をはじめました。

スクールには少しずつ子供たちが集まり始め、墨田区の保護者の方が着始めた頃から活気づくようになります。

さらに大きくなるきっかけは、別府博昭という保護者の存在でした。

彼の息子は、所属するサッカーチーム以外で学ぶ場所として私たちのサッカースクールに参加してくれたのですが、その下の年代(当時幼稚園から小学校一年生)の子供たちが20人以上来るようになりました。

区連盟に登録するべく連絡をし、面談をしたりしていたのですが、役員の方々は最初から私たちを敵視していました。

理由は「元プロサッカー選手のチームができたら、子供たちがとられてしまう」というもの。

いくら私たちが選手募集に上限を設けるといっても、選手募集が難しいから今はこれだけしか選手がいないといっても聞き入れませんでしたし、当初はNPOにする予定でしたので「会計を見せろ」と言ってきたのです。

並行してジュニアユースの準備を進めていましたが、こちらも体験にせっかく30人近く参加してくれたというのに、邪魔が入って結果的に7名の参加のみに終わってしまいます。

それでも監督をたてて活動をしました。

U-12、U-15と準備を進めていましたが、U-15の監督を依頼した人が、区連盟で過去に処分を受けたことがある(正直言いがかりの部分がありました)ため、これがまた区連盟ともめることになりました。

結局、10ヶ月後にU-15の東京都への登録は認められず、区連盟はU-15の監督が所属するチームは認めないということが申し伝えられたため、その段階でU-15とU-12を断念し、U-15は行き先をみつけて解散、U-12は他の方が立ち上げるチームへ行ってもらい、区でのNSP CLUBの活動を終了させました。

このとき、U-12を別の組織へいざなってくれたのが先ほどの別府でした。

彼とは必ずまたU-12、U-15を立ち上げるぞと約束をして、その後も社会人のサポートをしてくれていましたが、社会人解散ののち病魔に倒れ、亡くなってしまいました。

一度病状がよくなった時に彼の息子は彼に「工藤さんと成太さんに言わなくていいの?」と尋ねたところ、元気になってから連絡すればいいよと答えたそうですが、その3日後に容体が急変し帰らぬ人になってしまいました。

葬式では悔しくて、悲しくて涙が止まりませんでしたね・・・・・

2010年でしたが、そのタイミングで高木に当時のランポーレ鈴鹿から監督のオファーが届きました。

スクールは私が続けることとし、高木は鈴鹿へということで一度NSPは社会人だけになります。(そのご社会人を解散しましたが)

スクールは募集をやめて当時いる選手だけで細々と続け、4年後に終了させました。

そして2016年に高木が関東に帰ってきてから再び彼独自で最初はスクールをはじめることとなりました。

理由は前に書いてあるU-15の監督とスクールをやるからということでした。

そのため、私は最初抜けていたのですが、その後私が合流する形になりましたが、NSPという名前は使わずに活動を行っていました。

ところが、本格的にスクールを開始する前に、高木とその監督とが決裂し、なぜかその監督と私がスクールをするということとなり、不思議な感じで2年ほど行っていました。

そこに2018年、高木から「松戸でサッカースクールを行いたい」ということで、私に声がかかりました。

並行してサッカースクールをすることは私の心に反することなので、先のスクールを年度で抜けて松戸でのサッカースクールを高木とはじめ、NSP CLUBサッカースクールを再開させました。

そこに現れたのが、Sさんでした。

彼の息子は所属クラブでの居場所をなくし、サッカーが嫌いになりかけていました。

そこで彼はインターネットで高木がやっている(元プロ選手がやっている)スクールに行ってみる?ということで息子を連れてきたのです。

彼の息子は最初は高木と私の三角パスだけだったのですが、声がけが違ったり、ほめることであったり、私たちはサッカー指導のプロだということを示すためにやっていることが、その選手にとってはうれしいものだったそうです。

そして数週後にはキーマンとなるOさん、Kiさん、Koさんなどなど、それぞれの息子がスクールにやってくるようになりました。

それが今のNSP CLUBのベースとなっています。

これがきっかけてさつき幼稚園での「高木成太サッカースクール」につながり、その幼稚園生がNSP CLUBの選手として入部してくれたのです。

最初は複数学年で16名でしたが、今では4年生までで40人ほどになり、当然ながら公式戦のために松戸市四種連盟に登録しています。

再来年度からは千葉県にも登録してリーグ戦にも参加をしようと考えています。

しかしながら高木が事情によりアドバイザーとなり、コーチへの専念がかなわなくなりました。

立ち上げ当初の別府、高木、工藤のうち、私のみが全面的に残る形となりましたが、今年中に一般社団法人化をすすめ、組織としてNSP CLUBを確立し、サッカー指導のプロがやっているクラブとして皆さんに知っていただこうと思っています。

そのためにも、私は今まで以上に精進してまいります。

そして、プロ選手のセカンドキャリアとしても選ばれるような組織を作り上げたいと誓います。