サッカーの応援について

私は過去「サポーターが嫌い」と書いたことがあります。

それは私が「サッカーファン」でしかないという定義があると自分が思っているだけですので、他者から見れば私も「サポートをする人」という意味でサポーターなのかもしれないと思っています。
しかし私が指すサポーターとはゴール裏の方々のことで、これら全てを否定するわけではないのですが、残念ながらほめられたことばかりしているわけではないため私は「嫌い」と書いたのです。
それについてサポーターの方から「小さい」などとコメントをいただきましたが、どう取られても結構ですが少なくともゴール裏が改まらなければサポーターと呼ばれる人たちが「一般ファン」から見放されるのは間違いないと思っています。
特に今回はコンサドーレのホームゲームでのトラブルがあったわけで、USや他の団体であれ、暴れたりするのは一般ファンからみるとこれもまた「一部の熱狂的サポーター」というひとくくりにされるわけで、どうするかといえば「きちんとしてほしい」と願っているのです。
海外のサッカーや国内でも地域が応援しているチームの応援と言うのはみるからに美しく、また一種秩序があるようにさえ感じますが、それぞれがそれぞれに自主性を持っているようにも感じます。
ところが残念なことに熱狂的なサポーターと呼ばれる人の中には「俺らが先頭を切ってやっている」ということや、もっと大きく「俺らがいるから応援ができている」という言い方をしたり、思っていたりする人がいます。
私は実家に帰るとコンサドーレのホームゲームが重なれば例え室蘭であっても行きますし、アウェイでも今まではそれなりに行っていました。
しかしあるサポーターの態度を見て、全体の応援を見てアウェイの応援席には近づかなくなりました。
仲間だけで勝利を分かち合う・・・私は同じコンサドーレを応援しているのであれば、喜びは分かち合えるものだと思っていましたが、自分たちの中だけで消化してしまう姿を見て非常に残念に思いましたし、一般サポーターであったりファンであったりする人のほうがはるかに「喜びを分かち合う」ということをしていたと思います。
「コールが全て」と思っている人にはわからないのかもしれませんが、応援のスタイルは人それぞれですし、他者の応援方法を否定する必要はないと思っています。
ですが勝利をしたとき、チームとの思いは共有できるはずなのに、それをしないというのは残念でなりません。
今、mixiのコンサドーレコミュニティでアンチUSというトピックが立っていますが、USを完全否定する人は少なく、そうではなくてやり方が違うんじゃないの?という意見のほうが多いと思います。
熱狂的サポーターというならば、これらを解決して周りの人を盛り上げられる(自分たちだけで盛り上がるのではなく)応援をすることによって、それこそ自発的に応援の声があがったり、手拍子につきあってくれたりするのではないでしょうか。
私がサポーターを嫌いと言っているのは、そういう意味であって「なぜそう思われているのか」ということを省みず、自分たちだけで盛り上がる人々が嫌いだということです。
社会規範を無視する人が嫌いなのです。
その例として鹿島サポーターはそれこそ老若男女いるわけですが、柏戦で選手にフラッグをぶつけるような人はどうしようもないと考えるのです。
揃って応援する鹿島や浦和のファン(どちらにも非常識なサポーターはいますが)は、その応援を美しいとさえ思うことだってあるのです。
このエントリーが理解できずにコメントをいただくのは結構です。
私はNSPクラブの代表でありますが、それと共に日本のサッカーを応援し、行動を起こしているものとしてエントリーしているつもりです。
その思いがわからずに一つの事象だけにコメントされるのは心外です。
ぜひいくつかのエントリーを見ていただいてからコメントされればと思います。
コメントは大歓迎ですので。

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