審判という立場

先日、審判という立場を感じさせられることがありました。
選手が審判に対してどう感じているのか、審判というのは試合の中でどういうものであるべきなのかと痛切に感じました。
少なくとも選手の邪魔をしてはいけませんし、審判が試合を支配しているようなそうした言動はするべきではないでしょう。

また選手のストレスはなんなのか、それに対して声掛けをできているのか、ストレスを解消することは審判で可能なのかを考えながら動くべきなのだというわけです。
まして本部席にいるのであれば、相互審判の相手方だとしても言動は慎むべきでしょう。

そして選手はクレームとアピールをきちんと分けるべきです。
そのぎりぎりのラインを越えさせないのは審判であるかもしれません。

自分が責任を持って割り当てをするものでは、そうした審判を選出できるように努力をしなければ、リーグ戦の質もあがっていかないでしょう。
まず審判は走る・・・少なくとも選手が理解できる範囲までは走ることは最低限しなければいけません。
それができないなら審判はするべきではないと、そう感じます。

審判は偉くありません。
判定の最終決断に対しては絶対ですが、言動が絶対であることはありません。
間違えたら訂正したっていいわけです(最終決断をする前に)。
ましてピッチ内の選手に暴言をはくのは許されることではありません。

FC鈴鹿ランポーレ監督とNSP CLUBの将来

まあ成太なんですが(笑)

ランポーレの公式ウェブサイトが変わったのでのぞきにいきました。
高木成太|選手・スタッフ|FC鈴鹿ランポーレ

鈴鹿に送り出してから一年以上なのですが、きっちり始動歴の一番最初と前所属が「NSP CLUB」となっているのは感慨深いものがあります。
もちろん東京で一緒にピッチの上で子供たちと一緒にサッカーをやりたいというのもありますが、NSP CLUBは奴と私がはじめたものですから、とにかく目標に向かって一生懸命やるだけです。

元プロなどが引退後に教えることのできる場所のひとつとしてNSP CLUBがあり、そこで学ぶ子供たちがいることが私にとっての目標になります。
それを支えるのがトップチームになるわけですが、少しずつ準備をはじめています。
前回の失敗を繰り返さないよう、優勝候補で終わらないよう、勝ちきるチームを作ります。

ある友人と話をしていたのですが、スポンサーというので直接は難しいとしても、NSP CLUBのトップチームで活躍、少年で指導しながらその友人の会社で働く選手というのもありではないかという話でした。

そもそもそうした社会とのつながりも作ろうと思っていたので、この話はありがたいものだと感じています。
プロ選手として活躍できなかった、引退をしたそういう選手のセカンドキャリアとして、選択肢となることができれば、それで目標の半分以上は達成でしょう。

その彼らが育てた子供たちが活躍しないはずがないと思っていますので(笑)

子供のため

よく言うことです。
私も子供のためと口にしています。

しかし、自分のためにもなっているのは事実ですが、自分が何かをすることが目的にならないように注意をしています。

その意味においてFC台東 U-15を引き受けたのは当然ながら自分のためでもあります。
コーチとしてジュニアユース年代を教えるという実績が必要ですし、子供たちにどうやって自分の持っているものを伝えることができるのかという部分があります。
もちろん子供ありきで考えていることですが、きちんと自分にとってどういうオファーなのかというのを考えて結論をだしています。
それはきれいごとだけではないという正直な部分をはっきりさせておくことで、自分の戒めにもなります。

自分の利益のため、目的のためだけに活動をするのはいやらしい行為だと思っています。
ですから私は教育のページの自己紹介からPTAで活動していたことを削除しました。
これはある先輩からうけた助言もあったからなのですが、PTAがその目的に使われることは不自然だと考えるからです。

ただし一方でPTA活動をしていたことが有利に働くこともあります。
たとえば葛飾区や東京都で一般では無視されそうな意見であっても、「一応」受け取ってもらえるということがあります。
また、葛飾区においては当時一緒に活動していた仲間も多く、それぞれが青少年委員や地域に携わっている人たちが多いことから、意見を無視することができないということがあります。
これは自分のためではなく、誰かのためにやったからこそついたことであり、決して最初から狙ったわけではありません。
まあ中には狙ってやっている人もいるかもしれませんが・・・

では子供のためになにができるか、これから引退する選手たちに何をすることができるかといえば、アマチュアスポーツに携わるプロフェッショナルの指導者への理解をそれぞれの地域がしてもらえるようにしなくてはならないと思っています。
それは子供達への利益でもありますし、引退した選手などにとってはそのスキルを最大限に活かすことのできるフィールドになるかもしれません。

ところが地域でそうした受け入れをしようとしないとなれば、その地域の子供たちにとってはそうしたものを享受できないわけですし、いつまでたってもアマチュアコーチだけということになってしまいかねません。

スポーツ以外を見てみればわかるのですが、ピアノはピアノの先生にならいますし、高度学習は塾の教師にならいます。
しかしスポーツだけ指導がアマチュアという部分があるのはなぜだろうと思うこともありますが、そこにプロフェッショナルがいた方が子供たちにとってはいいに決まっています。
それを独占することなく、地域にそれぞれのプロフェッショナルの指導者がいれば、当然ながらその地域の子供たちのレベルはあがってくるはずです。

それはスポーツだけではなく文化的なものもそうなのですが・・・

子供たちのためというのは、そこまで考えるべきではないかと私は考えていて、実行しているのです。