水曜スクール最後のDNA

水曜スクールは本年度で一度終わらせる予定としております。

それというのもコーチの日程的な関係のためで、土曜日にスクールを集約しているからです。

そんな中、高木成太が教えていた最後の生徒の一人となった6年生が、葛飾区の6年後期トレセンに合格をしました。

このところ基礎に力を入れて徹底的にしごいていたのと、体力の強化のために負荷をかけるジョグをやっていたのですが、それが身になってきたようです。

昨日のスクールからは中学生になる準備として5号球に切り替えたのですが、重い・・・とブチブチ言っていました。
パスとトラップの基礎練習で、私がいつも通りに蹴っていてもボールがやはり重く感じられるとのことで、4号球と5号球の違いを肌で感じていたようです。

もちろん来年からは5号球となり、あたりも少しずつ強くなっていくわけですから、この時期に5号球を使うのは成太とも毎年やっていたことです。
しかし子供達はその重さをすぐにわかるようですし、何をしなければならないのはわかってくるようです。

それにしても成太の水曜スクール、最後のDNAがトレセンに合格してくれたのは本当にうれしいことです。
本人とご家族の協力があるからこそ上を目指すことができるのだと思います。

中学生の段階でフィジカルを言う必要はありません

よくスポーツをしている子供の親御さんから聞かれるのが「この子は大きくなりますかね?」というものです。
私がそこそこ大きく見えるからなのかもしれませんが、私は保護者の体格は参考にはなりますがあてにはなりませんし、中学生卒業段階の大きさもあてにならないと申し上げます。

ちなみに私の参考数値です。
・父 168cm/スポーツ体型・・・バレーボールなどを学生時代に選手として経験
・母 152cm/普通体型・・・中高は卓球選手として活躍
・私 180cm/格闘家体型(苦笑)・・・ずっとサッカーをやっています&陸上競技会に出場させられました^^;

と、両親の身長と体型が全く参考にならない状況にあります。
そしてもう一点、高校入学時と夏休み時、卒業時、25歳、現在を比較します
・15歳 158cm/43kg
・16歳 175cm/48kg(上記の三か月後です)
・18歳 178cm/72kg
・25歳 180cm/68kg(一時期仕事が忙しくて59kgになりました)
・48歳 180cm/76kg(28歳くらいから72-74kgです、また煙草をやめて87kgまで一時期増えました^^;)

というくらい、高校入学時の体格が全く参考にならないほどの成長をしました。
ちなみに高校一年時の担任は悪気はなかったのですが「工藤は気持ち悪いぐらい伸びたな」と言っていました(笑)

少なくともこういう「特異な例」はありますので、親御さんの参考も、高校入学時の参考も関係ないことがあります。

ただしこれだけは言えます。
「人並み以上どころか、その想像を絶するほどの大量の食事をしていました」ということです。
4人家族で弟がいましたが、成長期で普通に食べる弟でしたが、私のせいで10kgのお米が3-4日でなくなるというとんでもない量です。
それに合わせておかずも食べましたし、たぶん一時期はやった早食い大食いの人と変わらないスピードと量を食べていました。

今も同年代などと比較してもやはり食べる量は多いようですし、たとえ病気をしても食欲が減ることはほぼありません。
そこまで食べても太らなかったのは運動と代謝能力のおかげだと思っていますが、実はこの食欲は30歳くらいまであまり変わらないという・・・
社会人になった時で朝からお米が5合でしたので^^;;;;;

さらに言ってしまえば、スポーツはフィジカルが全てではありません。
リオネル・メッシのような例はありますし、すべてではないと断言します。
しかし、少しでも大きい方が有利なのは感じることがあります。
ですから、フィジカルを悩む前に子供がするべきなのは「運動をして食べて寝る」これに尽きるのです。
もちろん勉強も必要ですが、とにかく私の中では睡眠も重要だったと感じます。

お子さんにこういう例もあるんだよと参考になればと思いますが、こういう特異な馬鹿はたまにしかありませんので悪しからず^^;
ちなみに元妻の弟も高校一年時で20cm伸びた奴ですが、彼も私ほどではありませんが大食いでした。
※私ほどではないといいながら、一緒に食べに行くと驚かれました^^;

取り組みの姿勢

小学校の時に札幌で強豪チームにいた中で、もっとも足元が下手だった方の私が、きちんとゲームに出られて活躍させてもらい、その後はコーチとして、プレーヤーとしてできているのは、小学校、中学校時代のコーチのおかげです。

はっきり、私はリフティングなどが苦手でしたが、とにかく短距離が速かったのと同時に、スタミナが無尽蔵だったのです。
当時は体が小さかったのですが、ボディバランスが良かったのか倒れることもありませんでしたし、倒れる時はファウルが決定するときとさえ言われていたくらいです。
これは社会人で本気にやっていた時もそうで、足を少々ひっかけられたぐらいではドリブルは止まりませんでしたし、手をかけたプレーヤーを引きずってゴールまで持っていくなんてことをやっていました(苦笑)

これらができたのは、小学校5年生の時に初めて出場する際、監督から「いいか、お前はとにかく足が速くて力が強いから、左サイドを駆け抜けてこい」と言われたことがきっかけです。
強豪チームでしたからぶち抜いた後はゴールにつながるプレーが何度もでき、勝手に「自分はこれくらいできるのか」と思ったわけです。

それが結果として自信となり、リフティングはできないというよりどうも飽きてしまうのですが、今も仕事に関してそうなのですが、一瞬の集中力や興味があることに関しては人並み以上の集中力を発揮するため、ゴールへの執着とはずしてもすぐ次という切り替え、そしてはずしたことを忘れやすい性格が、いい方向に動いていたのでしょう。

トータルでは下手なプレーヤーの部類であっても、突出した能力を持っているプレーヤーは魅力を持っている、というのは大人になってからそう当時の指導者が私に教えてくれていたことに気が付きました。
そうした指導者に出会わなかったら、私はサッカーを続けることはなかったのだと思います。

おかげでスクールで教えてきた子供たちの中には、ある一定方向に突出した子供が出てきたりするのですが、それは諦めずに良いものを伸ばそうとするからなのですが、スタート地点は私の小学校5年生にあるのです。
中学年代も強豪チームにいたわけですが、そこでも足元うんぬんではなくスピードとゴールの嗅覚だけで試合に出し続けてもらったと感じています。
なにをどうやってもプレー全体では仲間の方がうまいと思っていましたもの(笑)

それでもチームメイトは私にボールを出してくれるわけで、それを決めなければ自分の存在価値はないと思うFWになっていましたし、ゴールに向かって1対3であればDFをぶち抜いてゴールをしてくれるだろう!という周りの期待に応えるのが快感でした。

おかげで小さくまとまったプレーヤーを育てることはなくなりましたので、結果として全体のレベルが高いプレーヤーか突出したプレーヤーがうちのスクールから育っていくのだと感じています。

よく、低学年の親御さんが「うちの子ははじめたばかりで、何もできないんです」とおっしゃるのですが、実際にやらせてみると大抵のことができるのです。
なぜなら教え方の問題だと思っていますし、よほど運動能力に影響がない限り、止める蹴る、ドリブル、シュートまでの動きというのはどんな子でも一日以内である程度満足のいくレベルになります。

そこが大勢でやるチーム練習とは違う部分であったり、アマチュアの指導者と私たちの違いだと思っています。
それもこれもスタートは上にあるものだと感じています。

これからも子供たちのためにと同時に自分の教えるスキルアップのためにも指導者として学びたいと思います。