高校選手権東京予選は楽しみで仕方がない

高校選手権東京予選は11/8、9で準決勝が行われます。

私はそこに二人の楽しみな選手がいます。

Aブロックには修徳高校の3年生、小野寺湧紀くんがいます。
彼は小さいころから知っていて、私の子供と同級生でしたのでその姿をずっと追い続けてきました。
その学生サッカーの集大成が高校三年生で修徳高校のキャプテンとして全国大会に向かっています。

もう一人はBブロック、國學院久我山高校の1年生、澁谷雅也くんです。
彼は江戸川区に住んでいながら、当時のコーチであった高木成太の教えを学ぶために、葛飾区の我がサッカースクールまでやってきていました。
当時から足下の技術は素晴らしいものがありましたが、なによりも素直なその性格が、どんどんと技術を吸収していったのを記憶しています。
その後、ジェファFCに進み、東京トレセンなどにも選抜され、國學院久我山高校で活躍を始めています。

二人とも私が審判として同じピッチに立ったことがあり、その成長を見せてくれましたが、もっと高みをめざして運も手にして上に行ってほしいと願っています。

もちろんこの準決勝は楽しみですが、地区予選から見ていますがそこには私たちの教え子・・・というか、一緒にサッカースクールで楽しんだ選手、FC台東U-15で汗を流した選手がいます。
彼らも今いる場所で懸命に努力をしています。

その姿を見ることは、本当に楽しみでなりません。

毎週のように審判が入るため、すべてのゲームに行くことは不可能ですが、時間がある時には彼らのプレーをみるために、自転車で都内をうろうろしていることもあります。
それは彼らが私の希望であり、楽しみであり、未来でもあるからで、社会人になっても都道府県リーグや地域リーグなどで続け、次の世代に伝えてほしいと思ってます。

まあそれまではもう少しあるでしょうから、まだまだ枯れるわけにはいきません。

日本代表の強化とJリーグの強化

昨日ブラジル相手の「テストマッチ」で、ブラジルに大変失礼なことをしたと思っている。

圧倒的に格下である日本が、ブラジル相手に飛車角抜きなどというのは、なめているとされても仕方がないだろう。

ただし、今後のテストマッチは当然ながら今回のような人選が必要だと思っている。

Jリーグで活躍した選手は、どんどん海外で修業をしてくればいい。
ダメ出しをされたらまた戻って努力をすればいいわけだし、その結果また海外から呼ばれるかもしれない。

なんで海外に行けというかというと、日本とは違うサッカー、特にヨーロッパや南米の選手を知ることにより、そのサッカーの質を高めることができるようになるということと、より高いレベルのチームに移籍することにより、得られるものが多いであろうということだ。

残念ながらJリーグのチームは突出したチームがないのだが、それが悪いところでもあり、良いところでもあると思う。

日本の二部リーグであるJ2は世界でも屈指の二部だと思われるし、なによりもその中位以上の競争と言うのはたいへんに高いものがある。

だからこそそこで若手とベテランの融合を果たし、レベルを上げることが日本代表にとって将来の財産となると考えている。

だが残念なのかどうかはわからないが、J1は戦力の拮抗が徹底しており、また大きな特徴のないチームばかりで、例えばフランスリーグアンであったり、スペインリーガのように突出して特徴のあるチームがない。
それらのリーグにはトップチームだけが得ているというものもあるかもしれないが、そこで得られるものも多いようにも思う。

その意味で数年前に検討された日本のプレミアリーグ構想というのも理解できなくはないが、今は全体の底上げを考えるのであれば今の状態を高めていくことが必要だと感じる。

日本代表は海外組が多くなるのは仕方がないが、日本代表を強化するためにはJリーグをもっと高めていくしかない。

クラブワールドカップに残念ながらこのところ日本チームが出ていないのがたいへんに残念だが、そこに必ず予選突破できるようなチームがでてこなければその先は見えてこない。

私の指導のベース八軒北小学校

私が20歳になる時に、サッカーのコーチを始めたのが札幌市立八軒北小学校でした。

実はこのころ自分の目標である職業に事情があって就くことができないため、自分はどういう人生を歩めばいいのかわからなかったときで、浪人のふりをして(予備校の模試だけはお金の関係で受けに行っていました)進路を考えていた時期でした。

私が卒業半年前までいた小学校から分かれた小学校が八軒北小学校で、自転車で移動をしている途中でグラウンドを覗き込んだところ、サッカーをしていたのでずっと見ていたわけです。
その時、グラウンドの中から呼ばれたのです「おい、サッカー見てるのか?だったら一緒にやらないか?」と。
今でもそうなのですがサングラスをはずしてみた先にいたのは、小学校の時に選抜でお世話になった遠藤先生でした。

遠藤先生は私の顔をみて「おー工藤くんじゃないか」と、なんと覚えていてくれたのです。
「ずいぶん体がでかくなったな。顔は変わらんが。」と笑いながらおっしゃっていただいたのです。
すぐにグラウンドに入り、子供達とジーパンのままでしたがサッカーを始めました。

終ってから遠藤先生が「もしよかったらコーチが足りないので、たまに来てくれないか。」とお誘いをいただいたのが、私がサッカーのコーチになるきっかけでした。
遠藤先生がいなければ、私はここまでサッカーに関わることもなかったでしょうし、社会人リーグに参加をしてアマチュアでもそこそこやらせてもらえることはなかったでしょう。

遠藤先生は当時も札幌のトレセンなどの指導をされていたようで、高校の後輩などもこの話をすると「遠藤先生にはお世話になりました」という奴もいるのです。

なんで遠藤先生を思い出したかと言えば、今週の日本テレビは20周年のTOKIOとタイアップして番組編成をしています。
私がコーチをしているときに、TOKIOの松岡くんが八軒北小学校にいたそうで、どうも会っていたようなのです。

実はTOKIOの松岡くんとはその後あることでお会いすることになるのですが、たいへんな好青年で私にも丁寧に接していただいたのです。

その松岡くんを見て、八軒北小学校と遠藤先生を思い出したのです。

今でも遠藤先生がいなければ、今のサッカーに対している私はいなかったのだと思っています。
ありがとうございます。