育成年代との接し方

一言で育成年代といいますが、幼稚園、小学校は低学年、中学年、高学年、中学校、高校と分かれることになります。

それぞれの年代で目標であったり、チームのレベルまたは本人のスキルで個々の目標は変わってきますが、これまでにこれを学んでおきたいというのがあります。

しかし、サッカーではなく、まずは「学習」を含めた「考える」ということをまずしなければならないと思っています。

うちのスクールでもレベルの高いプレーをする子供には、あれをしなさいこれをしなさいとそもそも言うことがありません。
まあ、スクールそのものが提案型で行っているので、すべての子供にやることをいちいち説明しません。

こういったことをするのに、体のどの部分をどうつかうと、結果としてこうしたことができるというのを、考えるためにやっているのです。

ですから、最初にするのはボールタッチだけではなく、体を動かすこと、ひいては自分の体を思い通りに動かすことができるようにするための運動を一緒にやります。

大人だと「自分の体は思った通りに動かせる」と勘違いしています。
実はなかなか思った通りには動かないのです。

それでその証明をした後で、じゃあどうしたら動かすことができるのかを考えながら、「指導」をしていくのです。

日本サッカー協会ではU-12でパーフェクトスキルの習得とありますが、それはこういうことなのです。

子供の時に脳で覚えたものは、後々になっても意外に問題なくできたりします。
これは子供の時に脳が体の動かし方を記憶しているからで、大人になってから難しいことをしようとしても、そうそうできないのです。

ですから子供のうちにパーフェクトスキルをとなっているのです。

さて、からだの動かし方はこんな感じなのですが、実はサッカーは賢くなければできません。
たったコンマ何秒の間にボールを受け、次のプレーをして、ゴールに向かう最適な選択をします。

これは頭の中で考えることですので、勉強だけではなく、天才的なサッカー脳があればできることになります。
ですがまずは賢くなるために何をするのがいいのか、トレーニングで最適なものは何かというと、「勉強」「学習」ということになります。

そしてさらに踏み込んで言えば、中学年代などで「勉強ができないのでやめます」というのは、結果としてサッカーと真剣に向かい合っていないか、言い訳でしかないと思っています。
かくいう私もぐれるまでは(両親との確執が明らかになるまで)勉強はトップクラスでした(笑)
それはなぜかというと「勉強しないとサッカーやらせないよ!」という、サッカーをにんじんに見立てたものだったからです。

今でもサッカーを続けられているのは、12歳までにきちんとした指導者についていたこと、その後も考えることを怠らなかったからだと思っています。

さて、考えること、体を思ったとおりに動かすことの重要性は今まで述べてきました。

では、実際にNSP CLUBで育成年代とどう接するのかといえば、教えるのではなくて一緒にサッカーをする中で一緒に考えること、あくまでも今までのことを伝えるということをしています。

あれをしろ、これをしろというのは簡単なのですが、育成年代が理解をしてやるまでは考えてもらわなければなりません。

このプレーの意味はどこにあるのか、その結果はどうなるから最適なものを選んだのかなど、結果までも考えなければなりません。

ですから私達は子供たちに命令することはありません。
提案であったりお願いでしかなく、それは本人たちがサッカーだけではなく考えることによって人間として成長することを思っているからこそのやり方なのです。

これは高木とサッカースクールをはじめた当初から一切変わっておらず、「○○やってみようか」という提案によりスタートし、その日のうちにまずはできてもできなくても結論を導き出すようにしています。
そういう流れで練習を事前に組み立てているわけですが、こういうことは机上で学んだだけではなかなかできないものです。

ですから私達はアマチュアコーチによる「指導」ではなく、プロフェッショナルによる「指導」の重要性を説いているわけですが、それは私達の学生スタッフであろうと誰であろうと同じようなやり方でやっています。

できなくても「なぜできないんだ!」じゃなくて「どうしたらできるようになるかな。できないとしたら他に方法はあるかな?」という問いかけによって、それぞれの子供たちの結論が変わってくることを許容しています。

残念ながら実力によって後々できる環境が変わってくるわけですが、少しでも高いレベルで行いたいと考えるのであれば、こういう考えのクラブやスクールで覚えていくのがいいと思っています。

そして育成年代において最もダメなのは命令するということだと思います。
よくいるアマチュアコーチの「パスしろ」「外を見ろ」「あれをやれ」「これをしろ」とどめは「そこでシュートだ!」・・・って、監督のゲームじゃないんですから思い通りに進めるべきではないのです。

あくまでもゲームは選手たちのもので、勝っても負けてもその結果は選手たちのものです。
指導者はその場に送り出すまでにどういう準備をするのか、できるのかということを考えればいいのです。

現在コーチとして入っているチームでも、私は選手のミスを怒鳴ったりあれしろとかはいいません。
あまりにも違うと思った時には、今のプレーがベストかどうか、それ以外の方法はなかったのか、ヒントはどこにあるのかということをアドバイスするだけです。
それが結果としてよい選手を生み出すことになります。

当スクールの出身で國學院久我山高校一年の澁谷雅也くんがいます。(中央SA-ジェファFC)
彼は本当によく考えてプレーしていました。
ミニゲームで大人と対するときにもどうやって抜こうか、ボールを取ろうか、そのためには何をするのか、勝てなくてもどうやって防ごうかなどなどよく考えていました。

もちろんそのためのスキルを磨くことを忘れていませんでしたから、非常に優秀なスクール生でした。

現在の彼を試合で見ていて思うのは、判断がすばやいこととそれに見合う身体の動きが可能であるということです。

優秀な選手ほど指導者は何もしなかったといいますが、雅也くんはまさしくそんなタイプでした。
勉強は・・・できるのかな?(笑)

審判としても考えるということ

今年も東京都の審判員として、東京カップを担当させていただきました。
東京カップというのは東京都社会人の天皇杯予選をさします。
これは審判員にとっては研修会でもあり、第三者から評価される貴重な機会でもあります。

とっくにベテランの域に入っている私としては、そろそろ指導をする側へのシフトが考えられるため、そういう第三者の意見を聞くことがたいへんに勉強となります。

そんな中で先日の研修後の打ち合わせではたいへんな勉強になりました。

トータルで考えてもブレがなかったように思うジャッジであっても、一つのミスがあればそれはブレがあったということ。

そして、それに対するアプローチはどういう基準で出てくるのかということ。

正確にルールブックの文言を引用するのはどうしてなのかということ。

いつも私達のように派遣を受ける審判員は、フィジカルチェック(主にクーパー走ですが)だけではなく、年に三度程度ルールテストを受けることになっています。
その中でいつも「規則どおりの文言で」条文などを書き出すことを求められます。

たまに「順番が違ってもいいじゃないか」とか「意味が同じならいいじゃないか」と思うこともあったのですが、先日の打ち合わせでその考えを改めることにしました。

正しく適用されるためには、規則どおりの文言が必要なのだということを痛感しました。

この解答を書いてしまうとみんな考えないで覚えてしまうので、皆さんにはなぜだろうと考えていただくためにここでは書きません。

しかし、サッカーのプレーヤーだけではなく、審判も考えなければならないということを思い知らされた感がありますので、私が審判の指導をする時には、こういうアイディアを持って臨みたいと思います。

それにしても、前にやった審判では監督やプレーヤーというのがルールを知らないというのを再確認することができました。

ゴールキックからのリスタートで必死に「オフサイド!オフサイド!」と叫ぶのです。

ほんと・・・ベンチにはルールブックを常備していただきたいと願う次第です。

冷静ではなくなるとき

現在FC台東U-15のコーチとしてベンチ入りをすることもあるのですが、Tコーチからも言われるとおり普段は前向きな言葉が多いといわれます。
選手を責めることは基本的になく、どうすればよりよいモチベーションで試合に臨み、どうすればゲームを組み立てることができるのかを「考える」ようになってほしいと考えています。

サッカースクールではテクニックの部分も教えることはありますが、基本はアマチュアコーチとは違う気持ちの持って行き方であったり、選手の個性を伸ばすことに注力をしています。

そんな私もベンチに座っているときに冷静でなくなることがあります。

それは審判があまりにもひどい場合となります。

・繰り返し何度もアタックを行う選手に注意さえせず、できるだけカードを出さないようにする
・走らない(走れない)
・選手から離れたところでジャッジを行う(副審が近いのは別)
・副審がオフサイドのルールを知らないで行っている

主にこんな時です。

オフサイドルールに関しては2013年夏の改定でDFがプレーをしたと判断される場合には、オフサイドポジションにいる選手はオフサイドではなくなるとあります。

しかしルール改定から1年半経ってもまだ「知らない」という審判がいるのも事実です。

そして何よりオフサイドそのものを理解していない審判がいます。
攻撃側の選手がパスを出す瞬間に、センターラインを超えてゴールとボールの間に二人以上の選手がいなければならないとなっているわけで、明らかにパスが出た後にディフェンスの裏に抜けているというのにオフサイドのフラッグを上げられることが多々あります。
シニアのゲームでも嫌になるくらいあります。

一試合で四回取られたときは、一度目はあやしいなあと思い、二度目は確信に変わり、三度目は遅れて出て行ったのにあげられ、四度目は明らかに遅れて出て行ったのにオフサイドとされました。
怒る気力さえもなく、呆れに近かったでしょうか。

そんなことを若い年代でやられてはこまるわけです。

選手は理不尽さに対して若ければ若いほどもろいものなのです。

だからこそあまりに酷い審判には声を出すことがあるのです。
私が冷静じゃない時というのは、そういうことなのです。