カテゴリー: 審判のつぶやき

審判の質に思うこと

昨日、全国シニアサッカー選手権東京予選の一回戦を闘ってきました。

この選手権予選は、主審・副審ともに東京都サッカー協会から派遣されるレフェリーの方たちで、ほとんどがアクティブレフェリーとして活躍されている方です。

そのためフォワードとして試合に臨む際、アシスタントが信頼できるS2の仲間だと見た瞬間に、本日のオフサイドの判定に間違いはないと確信しました。

そのチャンスは後半に訪れました。

一度相手ゴールから遠ざかり、味方DFとアイコンタクトをして相手DFの裏にボールを出してもらうその瞬間、猛ダッシュでゴール方向に向かいました。

蹴る瞬間の音を聞いたのは、オンサイドぎりぎりであることを確信し、そのままゴールへと向かったところ、相手DFはオフサイドと声をあげましたが、アシスタントの彼は全くフラッグをあげる様子もなく、私のラインに合わせてダッシュしていました。

・・・とまあ、これくらい納得のいくレフェリングを見せてもらえる機会というのは、なかなか私たちのゲームレベルではないと思っています。
※東京都シニアオーバー40、50の場合は1部リーグのみ全員が割り当て審判員

そのため、リーグ戦の場合相互の副審(主審は東京都サッカー協会からの派遣)であり、アクティブレフェリー経験がない方がほとんどですので、同じようなタイミングでもし走りこんだ場合に、オフサイドの判定をされる可能性が高いとも思っています。

ちなみに、たまに相互審判であってもアクティブレフェリーが選手にいたり、もしくはチームが依頼した審判員がアクティブレフェリーの時がありますが、これも同様に「ラッキー」と思っています。

審判の質は高めることは審判員本人でしかできないことです。

それはアクティブレフェリーとしてはトレセンであったり、地区の講習会や仲間から依頼がくる審判にでかけていったり、私のように暇な(暇じゃないんだけれどさw)インストラクターに見てもらって感想を言ってもらうなど、さまざまな方法で質を高める努力をしています。

アクティブレフェリーとして活動をしているときに、競技者のためにトレーニングをしている意識と言うのは常にありました。

レフェリーの準備はいくつかあります。

競技規則を頭に叩き込んでおくこともそうですが、やはりフィジカルの準備というのは大切で、たとえ50代であっても18歳の若者とスプリント勝負をしなければならない瞬間もあるのです。

そのために必死でフィジカルの準備をするわけですが、ただロングランだけでは難しいため、インターバルトレーニングをしてみたり、ヨーヨーをしてみたりと、毎度毎度体を酷使しています。

私の場合はそれらは過去形になり、ひたすらシニアサッカーで自分がプレーをするためにトレーニングを重ねていますが、レフェリーの皆さんは競技者のためにトレーニングを重ねているのですからみんなをリスペクトしています。

いま運営をしているNSP CLUB松戸U-12では、来年度にクラブとしての登録を、再来年度から3年生が公式戦をスタートすることになります。

そこにはアクティブの仲間であったり、保護者で手を挙げていただいた方にレフェリーをお願いすることになりますが、工藤個人としてはそこになんらかの有意義なものを提供していくことができればと考えています。

25年の恩をここでも返すことができればと思っていますので、手探りではありますがやっていこうと思います。

みなさまへの御礼

先日のアクティブレフェリー引退宣言の記事について、たくさんの優しい反応をいただきました。

こういうのは本当にありがたいと感じます。

私は今後審判インストラクターとして、選手を最優先に試合を進めることのできる審判を育てられるようにしたいと思っています。

審判を30年ほどやっていますと、いろいろ試行錯誤をするわけですが、「試合をコントロールする」と言ってしまうと勘違いをしてしまう方もいるため「選手と共に試合を作っていく、そのためのコントロール」を意識できるよう自分の中でも整理をしていきたいと思います。

先日、小学校一年生の試合を何十年ぶりかで担当したのですが、選手たちは一個のボールを懸命に追いかけていました。

競技規則については当然という感じで知らないところもありますが、それを伝えながら試合を進めることに楽しみを覚えました。

これからもこうした活動は続けていくわけですが、関東や東京都の高いレベルを担当する可能性のあるアクティブレフェリーについては引退をし、区切りをつけたというわけです。

たぶん、審判自体は走ることができる間は何らかの形で続けるのだと思いますが、もう高いレベルでは自分が納得ができないだけではなく、競技者によろしくない影響を与える可能性を考えて決断した次第です。

これが全ての方に当てはまるわけではなく、私は私の納得できる形でアクティブレフェリーを引退しようと思っただけです。

実は55歳でやめる宣言をしていたのですが諸事情により2年延長しました。

昨年は手違いもあり活動があまりできなかったため今年本格復帰をしたわけですが、その中でやはりさまざまなことを考えました。

さらには教え子(という言い方は好きではありませんが)がS2に昇級し未来も期待できることがあり、それを見届けたいとも思いました。

あと荒木友輔くんのワールドカップでの雄姿も見たい!!!

まだまだ「審判」としての楽しみは尽きません。

アクティブレフェリーを引退することとしました

おひさしぶりです、工藤です。

このブログをはじめて、結構長くなったのですがいまだに「工藤さんのブログ読んでいます」とか、「あの工藤さんですよね」とか言われることがあり、恐縮してしまうことがあります(苦笑)
※だったら書かなきゃいいのに

ということはおいといて、まず皆様へご報告と言うことで、掲題の通り東京都サッカー協会所属のアクティブレフェリーを引退することとしました。

33歳からはじめたのは、当時の2級昇級が「S3取得後2年以上(アクティブが望ましい)で35歳以下」という基準があってあわててスタートした感じでした。

実は28歳の時にある方から「レフェリーを真剣にやってみないか?」とお誘いいただいたのですが、その時にはまだ自分はプレーヤー(下手ではありますが)だと考えていたのでお断りをしたのです。

そのため33歳になって審判に真剣に取り組もうと考えた時に、昇級したいと考えてあわててアクティブになったというのが真相です。

最初のクーパー走(12分間)で3600m・・・夏の国立霞ヶ丘競技場でしたが・・・ということで、いきなり東京カップの割当が主審だったりして緊張したなんていう経験もしました。

しかし、付け焼刃的なアクティブレフェリーのスタートでは、たった二年では昇級にひっかかりもしなかったのもまた事実です。

仲間の一部から28歳の時に受けていれば・・・という意見もいただくこともありますが、受けなかったのですからその後は結局今が現実なのだと素直に感じています。

その後、35歳の昇級期限はなくなりましたが、その時にすでに40代後半となっており、どちらかといえば若手と組んでサポートすることに喜びを感じるようになっていました。

若手がアシスタントの時にはレフェリーとしておっさんでもここまで走っているんだぞとか、ゲームコントロールの参考に良くも悪くもなればとやりましたし、私がアシスタントの時にはゲームに集中できるような環境を作ったり、試合中に落ち着かせるようなそんなことを心掛けたりするようになっていました。

ちなみにアクティブレフェリー(ここではS3級)とはなんぞやということをここで紹介いたします。

あくまで東京限定になりますが・・・
・東京都サッカー協会および下部団体の公式戦の審判員を協会からの依頼(割当)にて行う
・関東サッカー協会主管ゲームで、東京都サッカー協会が主催する公式戦の審判員を協会からの依頼(割当)にて行う
・ごく一部ではありますが日本サッカー協会主管ゲームでも同様のことがあります
と、ざっくりと書くとこんな感じの試合の審判を協会割当で行うわけです。

25年もS3アクティブなんてやっていると、800試合以上も審判をしていることになるのですが、そんな試合をずっと担当させていただいたのです。

毎週末審判と、自分のプレーヤーとしての試合と、チーム運営と・・・途中から少年サッカーのコーチなどなど、ほんとうに楽しく活動できたのは、アクティブレフェリーの経験がさまざまなものを生んだのだと思っています。

もちろんそれ以外の経験がアクティブレフェリーへもたらしたものも多くあると思いますが、結局一番稼働していたのはレフェリー活動であったのだと今は思っています。

東京の場合すごいのは、全国レベルの学校やクラブがあるため、後々プロサッカー選手として活躍するようなプレーヤーと一緒のピッチに立つことがあります。

ある代表戦などでは登録23名中11名の試合を担当したことがあったりなどということもありました。

それくらい東京の審判割当の質は高いものですから、S3であってもレベルの高い審判は今も存在しています。

正直なところなんでS2に昇級できないのだろうかと言う審判もいるくらいですが、昇級はその中で切磋琢磨した結果なのですから、東京のS2の皆さんは自信をもってやっていただきたいと願っています。

また長くやっているといろいろな若手と(当時(苦笑))組ませていただいた結果、その彼らが今ではJリーグの審判員であったり、国際審判員になっているという頼もしい状況にもなっていたりします。

たぶん今の東京都でS1になった45歳以下のレフェリーとは、飯田淳平くんを除き組んだことがあるはずで、若き日からの彼らの活躍をずっと楽しく見させてもらっています。

今ではDAZNで妻曰く「審判巡り」をしている状況で、この試合は誰々だから見なくちゃとか、見る試合が多くなって妻から「他に見るものないの?」と言われたりします。

まあうちは地上波を見るようになっていないので、ディスプレイとして使っているだけですので、インターネット番組以外はあまり見ないわけです。

全国大会も経験させていただきましたし、プレ国体も・・・S3としては貴重な経験をたくさんさせていただいたと思っています。

まだS3アクティブ現役で二歳上の卜部さん(元、佐川急便SC)とも先日話をさせていただいたのですが、私たちほどいろいろな経験をさせてもらったのは、なかなかいないんじゃないかというほど四半世紀の経験は多くあるのだと自負しています。

あとはS2の石井くんとかくらいではないかと。

S2になれなかったことを含めて、全く悔いはありません。

本当に楽しい25年間でした。(途中、条件であがれなくて腐っていましたが)

それどころか現在ではSI3というインストラクター資格も取得させていただき、後進と一緒にその彼らの未来を考えることのできる機会をいただきました。

5年前に取得したのですが、アクティブレフェリーとして活動をしていたのでインストラクターは開店休業状態でしたが、来年度より東京都サッカー協会が行け!というものはできる限りぜんぶやってみようかと思っています。

このインストラクター(SI3)というのは以下のようなものを担当します。(例)
・東京都サッカー協会主管の公式戦のアセッサーを行う(審判員の評価等)
・トレセン、イントレの参加
・新規・更新研修会の講師(要、別の内部資格)およびヘルプ
・市区町村(私の場合は特に台東区)のグラスルーツへの講習会等
・審判員の発掘

というような感じです。

私の場合、本業がICTですのでそうした部分については強みがありますし、今はオンラインセミナーなども多いため、そういう部分には積極的にお手伝いできればと思っています。

もちろん、アセッサーとしての活動、トレセンのお手伝いなどなど、特に若手へのサポートができればと思っていますが、それは東京都サッカー協会の意向もあるため、話しながら進めていくことができればと思っています。

あと、インストラクターとしての勉強を含めて、今もやっているのですが、審判員から審判の見学を依頼されたら、時間の空く限り現地に行き見て感想を述べるということをしていこうと思っています。

さまざまな試合を見ることによって得られるものもたくさんあるため、そういう活動をしながら今後はインストラクターとして、自身プレーヤーとして(再来年からO-60!)、少年コーチとして、そして依頼された審判を細々と続けながら残りのサッカー人生を堪能したいと思っています。

家本さんや村上さんのような華々しい引退とは全く違いますが、都道府県サッカー協会にはこういうグラスルーツからプロ予備軍の試合までを担当する多くの審判員がいて地域の試合を支えています。

今後はサポートの立場に回りますが、アクティブレフェリーの皆さんの助けとなるようなことができるように、目立つことなく(苦笑)生きていこうと思います。

この文の最後に・・・
今まで割当いただいたDさん、Tさん(ん?苗字ではない)、Kさん(最初は郵便、FAX、電話でしたね)
東京都で事務局をやっていただいた皆さん(またケーキ持っていくね)
研修に携わっていただいた審判委員会の皆さん
私をご担当いただいたインストラクターの先輩の皆さん
私をインストラクターとして推薦いただいた台東区サッカー連盟のダブルSさん、Iさん
台東区所属のレフェリーの皆さん
今までかかわっていただいたアクティブレフェリーの皆さん
そして、師匠の原田さん、その弟子であり先輩のSさん

本当に皆さんありがとうございました。

また、これからは別の形となりますが、よろしくお願いいたします。