カテゴリー: 審判のつぶやき

レフェリーを目指す若者へのエール

最近はユース審判員も増え、頼もしい若者たちが多く審判員として活躍しています。

しかしながら、彼らは成長過程であり私達大人が間違った対応をしたなら、ゆがんで育ってしまう可能性もあります。

できるだけまっすぐに、できれば将来はJリーグなどの大舞台でレフェリーができるような審判員となってほしいと願うからこそ、少し苦言も交えて書いてみたいと思います。

私が若い頃なんて、レフェリーを志すなんてのはこれっぽっちも思ったことがありませんでした。

レフェリーを意識したのは自分がコーチ兼任で入ったチーム、つまりは30代中盤以降でしたが、東京都三部の試合でゴールキーパーをやっていた時、肩甲骨の一部を骨折する怪我を負ったことからレフェリーという存在への意識を深めました。

つまりはそれまではレフェリーは「仕方がないからやっていた」というものでしかありませんでした。

偶然なのですが28歳くらいの時に、実は審判員として上を目指さないかというスカウトも受けたのですが、当時は自分はプレーヤーとしてしか興味がなかったため、全くレフェリーをやるなんてことは考えていませんでした。

たまたま中体連の帯同で「やらざるを得なかった」時に、声をかけてもらったわけですが、今考えればなんとまあもったいないことをしたのだろうかと感じます。

ところが、現在のユース審判員がすごいと思うのは「審判員になりたい」と思ってやっていることで、プロフェッショナルなレフェリーが求められる中で、彼らのような存在は頼もしくもあります。

ただ、彼らに思うのはサッカーをもっとやって欲しいということ。

現在、知っている若手審判員の中にもサッカー経験の少ない上級審判もいますが、彼らの悩みは結局のところ「高いレベルのゲームにおける選手の心理」というものを知らないからこそ、もっと審判をする中で経験をしていかなければならないとなっているのですから、若い審判員は審判だけではなく、競技者としてもある程度の試合をしてもらいたいと思っています。

例えば、高校選手権に競技者として出場したのだけれども、卒業してから怪我をしたためボールを追いかけられなくなり、審判としてやってみようと思ったなんて若者もいましたが、彼は実にゲームの機微というのがわかっていて、トラブルの芽を摘むのがうまかったと感じました。

先日Jリーグに主審デビューした御厨貴文くんなどは、J1も経験したことがあるわけですから、J3のゲームに入ってみてもきちんとその競技者の心情がわかるからこそのレフェリングをしているように見えました。

もちろんJリーグなどを経験しろということではなく、学生サッカーの中でもここまでやってみたというレベルまでひとつやってみるのも必要なのではないかと感じるわけです。

ちなみに中学時代からずっと見ている若者は、現在二級を目指すべく頑張っていますが、大学サッカーで体育会に所属しながら競技者としてもやっているわけで、そうした自分の経験が後のレフェリングに良い影響をもたらすのではないかと考えます。

若いレフェリーに苦言を呈するなら、もう少し時間の感覚や、認知能力を高めて欲しいと感じます。

集合時間は当たり前で、なにかトラブルがあったら運営者へ連絡し、現在の状況を伝えることと、目的地への到着がいつくらいになるのかなどの情報を伝える最低限のことをしてほしいと思います。

これは自身が逆の立場になってみればよくわかるのですが、情報が多ければ多いほど判断に役に立つということで、例えば主審として情報が多く得られれば、その正しいジャッジは何であるのかということを判断しやすくなるはずです。

余計な情報は逆に邪魔になるはずなので、余計な情報や、想像は不要で、事実と正しい感覚による予想を相手に短く伝えることで、より判断しやすいことを伝えることが、自身への後に対して役に立つことになると感じます。

大きな苦言があるとしたなら、自分の立ち位置を間違えるなということです。

審判は「刺身のつま」でいいのです。

積極的に目立つ必要はありません。

これはある県の審判員で聞いたことなのですが、ある御大と呼ばれる監督に対して注意をしたことが、審判仲間の間で自慢をしていると審判委員会の中から聞こえたことを、結果としてその御大に別のルートで伝わってきています。

「俺はあの監督に厳しく言ってやったんだよ!」と嬉々として言ったというのですから呆れるばかりです。

その監督に対して厳しく注意することが必要なのではなくて、その監督が文句を一言も言えないようなレフェリングをすることが審判員の本分でしょう。

そんなところで審判員として目立つ必要などはありません。

別の若者の審判は、あるトーナメントにてPK戦で敗れたにもかかわらず、主審に寄ってきて「負けたけれども素晴らしい審判でした。ありがとう。」と握手を求められたそうですが、彼は主審としての責務をきちんと果たし、決して目立つこともなかったにもかかわらず、負けた監督からそうした素晴らしい評価をいただけたわけですから、最高の刺身のつまとなったわけです。

それこそが審判員としてのみせどころで、審判員が目立たず素晴らしい試合がみんなの前で展開することこそサッカーの楽しみなのだと思います。

そこで何か危険なことがおきようとしている、何か起こってしまった、そういう時に審判がさっと介入することで、スムーズな試合を行うことができれば、目立つことなど全く不要なことなのです。

もちろん審判員としての存在感は必要です。

例えば今や国際主審の荒木友輔くんなどは、その存在感は絶大でありながら、では試合の中でどれだけその存在感を発揮するかと言えば、危険なプレーの前後程度とゴールに近くなった時のポジショニング程度であって、良くも悪くも目立ちすぎないという絶妙な審判員になっています。

先日のJリーグカップ決勝においても、彼が特に目立ったのはVARのシーンだと感じますが、あれはVARとの見解の相違があり、ゲームが止まるからこそ起きる事象であって、決して審判員が目立とうとして目立っているわけではありません。

まして、あのシーンは得点につながるかもしれない所でのファウルでしたから、正しい判定をするという目的においては、間違いなく正しいと感じられるわけで、主審が目立とうとして目立ったわけではないのです。

先日の御厨貴文くんのJリーグ主審デビューも存在感はきちんとありながらも、目立ちすぎないレフェリングに感銘したものです。

ただ御厨くんの場合は体も大きいため、その大きさも存在感を感じさせるものですが、それが悪い方に目立たない・・・例えば、ゴールに近づいているシーンだというのに主審が観客の視野に入ってこないだのということはなく、キーパーがシュート性のボールをキャッチする時でもきちんとペナルティーエリアに近づく、または入っているというきちんとした対処は見えるわけで、悪い方に目立つことはない試合だったと思っています。

私も若い頃・・・といっても三十代のアクティブレフェリースタート当時は、身体の大きさや走力で目立っていた方と言われます。

本人は「地味で、華奢で、目立たない方」とよく冗談で言っているわけですが、アセッサーの先輩から「試合前のリラックスして競技者と笑顔で会話している姿とか、雰囲気があるよね」とか言われておほめいただいていました。

ただ荒木くんや御厨くんのように、ジャッジのレベルがそこまで高いわけではないため、悪目立ちするシーンもあり、結果として上級にあがることはできませんでした。
(誰だ、そこで言うことを聞かないからとか言う奴は!(苦笑))

そこで若い審判員に言えるのは「素直に人の言うことを聞きましょう」というものです。
(やっぱり工藤は聞いてないじゃんと言わない!(苦笑))

私は東京都のインストラクターとして、若手だけではなく多くの審判員とこれからも審判として、インストラクターとして接する機会があると思います。

そういう時に、こうした経験をより若い世代に伝えることができればと思っています。

このエントリーの最後に・・・荒木くんを目指すのに、今の荒木くんを見るのではなく、荒木くんがたどってきた道を参考にしてほしい、ということを書いて終わりにしたいと思います。

試合中の役員への警告と退場について

2019明治安田生命J3リーグ 第24節 退場に伴う シュタルフ 悠紀リヒャルト監督(YS横浜)のベンチ入り停止処分について

規律委員会において2019明治安田生命J3リーグ 第24節の試合で起きた行為に対し、シュタルフ 悠紀リヒャルト監督(Y.S.C.C.横浜)の処分を下記のとおり決定いたしました。

【処分内容】
1試合のベンチ入り停止

【ベンチ入り停止試合】
2019明治安田生命J3リーグ
2019年10月5日(土)開催 第25節 Y.S.C.C.横浜 vs 福島ユナイテッドFC

【処分理由】
2019年9月29日(日)2019明治安田生命J3リーグ 第24節(ブラウブリッツ秋田 vs Y.S.C.C.横浜)の試合においてシュタルフ 悠紀リヒャルト監督は主審より退場を命じられた。
(公財)日本サッカー協会 競技および競技会における懲罰基準に照らして審議した結果、同監督の意図的にテクニカルエリアを出て審判員に異議を示した行為は、「主審、副審の判定に対する執拗な抗議」に相当すると判断、1試合のベンチ入り停止処分とする。

重要なことが記されているように感じました。

同監督の意図的にテクニカルエリアを出て審判員に異議を示した行為は、「主審、副審の判定に対する執拗な抗議」に相当する

抗議のシーンを見ましたが「執拗」ですよね。

一発退場で問題はないように思います。

これを参考に、「意図的にテクニカルエリアを出る」という行為に対して、警告を考えるべきだと感じます。

結構、監督さんたちはテクニカルエリアから何度注意してもでるので、警告についての対象であることを明確にすることで、競技者および副審の安全を確保すべきだと感じます。

A1の後ろのはずの監督が、前にいるとぶつかるんですよね。

手をだすことさえ本来は憚られるはずなんですが・・・

競技者が見えているもの、審判が見えているもの

私は現役の競技者として、また現役の審判員、インストラクターとしてフィールドやその周辺に立つことがありますが、やはりそれぞれにおいて見えるものが違うのだと、最近あらためて感じます。

例えば、競技者としてファウルで試合が止まったとします、その際にファウルを受けた側が報復とまではいかなくとも、相手競技者が倒れている頭の上を足で抑えたとした時、私は間違いなくその足を通した選手に対して抗議します。

で、そういう時に別へフォーカスが行って、見えていない審判が時に、問題が起こることがあるのです。

審判としては再開をするためにファウルの一件が落ち着いたと思ったら、再開方向を確認するなどをするのですが、その時に火種が残っていたとしたら、見逃すこともあります。

競技者としては火種が残っているということは、双方に納得していない事象があるわけですから、一触即発なのですがその状況を審判がわかっていなければ見えなくなってしまうこともあります。

これをどうするか・・・といえば、経験を増やしていくしかありません。

競技者がどういうストレスを抱えているのか、どの競技者がストレスを抱えているのか、そういう部分を気付いていくことによって、試合の進行をスムーズにする工夫をしていかなくてはなりません。

間違ってもその際に、思ったことをストレートに競技者にぶつけるようなレフェリーはありませんが、それも経験によって工夫をしてください。

レフェリーもストレスがたまるのは当たり前なのですが、レフェリーが熱くなって言葉を発するのはしてはいけません。

競技者からみて、レフェリーが100%全部を把握してくれることはないと思っている人がほとんどでしょう。

ユニフォームを引っ張られている、押された、抑えられた、蹴られた・・・などなど、少しずつストレスはたまっています。

同じことが続くと当然ながらアピールをすることになります。

つまりはアピールはストレスがあるからこそ起きるということです。

多くのレフェリーはアピールで見えていて軽いものは「見ているよ」と気付かせることがありますが、見えていなかった場合にはどうしているでしょうか。

私の場合ですが、プレーが止まっているときに競技者に対して「ごめん、さっき見えなかったけれど、どうだったの?なるべく見るようにするから。」と「相手によって」声掛けをするようにします。

そうして、次に同じ競技者がファウルを受けたような場合に見えている、もしくはきちんとファウルを取ることによって、レフェリーと競技者との間に信頼関係が生まれます。

それがコントロールの一種なのだと考えます。

もし万が一もう一度見えていないなんてことになると逆に全く信用されなくなります。

声掛けとはそれほど重要なことだと認識しています。

インストラクターとしては、アセッサーとしてレフェリーの振り返りをする場合があります。

試合が終了してレフェリーチームのその試合の振り返りを行い、良い点、悪い点から伸ばしていく部分、改善していく部分をレフェリー本人に気づいてもらうためのものです。

以前のように「教える」という方法は少なくなってきており、「気付いてもらう」ことが重要視されるため、実はインストラクターも難しくなってきており、そのための研修も受けています。

チューターリングなどの手法を使って、レフェリーチームにその試合を振り返ってもらうわけですが、気付いてもらうための材料を揃えても気付いてもらえない時にはストレートに「このシーンはどうだった?」と聞くこともあります。

その時に気を付けたいのが「見えているものが違う」ということでもあります。

インストラクターはフィールドの外から見ていますし、レフェリーよりも争点から離れてみています。

そのため極端な場合にフィールド外からはファウルに見えたものが、レフェリーの視点からはファウルにはならないものだったりすることがあります。

その見えている者の違いを意識しなくてはなりません。

同じように東京都の試合の多くは、アセッサーが一人でレフェリーとアシスタントレフェリーを見るため、アシスタントレフェリーのオフサイドのタイミングについて疑義のある場合が存在します。

しかし、何度も書いていますがフィールドで見えているものとフィールド外、特にアシスタントレフェリーにしか見ることのできないオフサイドラインについて、余程はっきりわかるものでなければアシスタントレフェリーが100%間違っているものは見極めることができません。

今のタイミングは微妙だったな・・・聞いてみようとなるわけですが、その時にアシスタントレフェリーへの声掛けは「〇分の×チームのオフサイドだったんだけれど、どう感じましたか?」と言葉をかけます。

それに対してアシスタントレフェリーから「100%間違いなくオフサイドです。一列目は間違いなく、二列目に出てきた選手も先にオフサイドの位置にいました」と回答してもらえばまず間違いがありません。

ところが「微妙だったかもしれません」という回答は多くの場合BADだと感じるわけです。

レフェリーは見えた事実を表現する必要があるわけで、想像力を働かせるのはジャッジまでの流れであったり、競技者の心情の部分で十分です。

それ以外は見えたものしか材料になりません。

だからこそJリーグでも誤審になったりするものが存在するわけですが、見えなかったものについては判断することができないのです。

・・・で、見えるように努力をしなさいという結論になるのですが、それはまた別の機会に書くこととします。

もう一点。

私は審判としてフィールドに立つ時と、競技者としてフィールドに立つ時と違うと言われますが、それは当たり前だと思っています。

審判は勝ち負けは関係ありませんが、競技者は勝ち負けを含めてこだわりがあります。

そのため審判としての自分を、競技者の時にあてはめられるのは嫌います。

私は競技者としてフィールドにいる時はファイターでしかありませんから。