スポーツマンのつぶやきの最近のブログ記事
ということで写真の総決算をしたいと思います。
さて左の写真は東京都審判トレセンの河村くんです。
今年就職したばかりのぴっちぴち(笑)
3級アクティブ審判講習会での一枚ですが、彼とは4月のT-1リーグで審判を組んだ中で、たいへん真面目でかつ自己を持っていると感じる青年でした。
久しぶりにあったのですが、毎週のように審判として頑張っているそうです。
ちなみにこの日の筆記試験では80点を超えたのが4人だったのですが、しっかりと80点を取り成績優秀者に入っていました。
私は・・・ひっかけ問題二つにやられました・・・・・
9日分は国立霞ヶ丘競技場だったのですが、霞ヶ丘は渋谷区の小中時代にも走りましたし、昨年の講習会も霞ヶ丘だったので「ナショナルトレセンで走ってみたい」と思ってというのと、9日には出張が入っていたので24日しかないということもありこちらにしました。
C級コーチ講習会が行われた赤羽商業の向かいでして、C級のときにちょうどオープン直後だったのですが、外からしかみることができませんでした。
実際に走ってみたのですが、霞ヶ丘より下が柔軟で走りやすい感じがしましたが、これは北京のトラックに合わせたのでしょうか。
記録はクーパー(12分間)走で2800mとなりした。
FC町田ゼルビアの柳?祥平選手です。
C級コーチ講習会で一緒になったのですが、とにかく明るくて前向きで一生懸命な選手。
FC町田ゼルビアは今年JFLに昇格しないと厳しいといわれているようですが、ヤナギにJFLのピッチに立ってもらいたいですし、現在私もゼルビアユースの帯同審判としてやらせてもらっていることもあり、ぜひJFLに昇格して欲しいと思っています。
しかしながら先日の天皇杯予選で、なんと大学生相手に敗退してしまったとのこと・・・・・
もう一度自分達の力を見直して、全国社会人、そしてJFLへの昇格戦をきっちり勝ち上がっていってもらいたいと思います。
頑張れヤナギ!(この時は町田に住んでいる横塚コーチも一緒でした)
7月19、20日に行われた葛飾チャンピオンシップでの一場面です。
葛飾チャンピオンシップは小学校5年生が対象で、葛飾トレセンの子供たちとJリーグ傘下4チーム、JFL傘下チーム、あとは強豪の近隣少年チームなどが集い、競うというものです。
一番手前の子は我が葛飾小学校の5年生ですが、カメラを向けると顔を隠してしまいました(笑)
すごく素直な子で、リーダーシップもある少年です。
おねえちゃんも、おにいちゃんも素晴らしい子でしたから、この子も将来はきっと彼らのように育ってくれるものだと思っています。
自転車を改造しました。
雨さえ降らなければ山手線内と東は千葉駅くらいまでは自転車で動いているのですが、とうとうハブなどにがたがきてしまったため、普通の自転車が買えるくらいのお金(もっとかも^◇^;)で改造をしました。
前後のハブ、フロント・リアのギア、フロントのディレイラーもやりましたし、タイヤ径も26インチから700Cと若干大きくしました。
おかげで平均速度が5km/h近く上がるようになりましたので移動時間が短くなりました。
次はフロントフォークを変えたいと思っているのですが、今回は予算不足によりここまでで終了となりました。
これで日頃から自分自身を鍛えているのですが、まだまだ左ひざの状態は完全に程遠いので、なかなか・・・・・
日本水泳が危機である。
日本の競泳チームは契約の関係上、MIZUNO、asics、デサントの水泳着を着用しなければならないわけであるが、さんざんワイドショーなどでも取り上げられている通り、SPEED社の水泳着が優れているようでタイム差が相当あるようだ。
このまま行っては間違いなくオリンピックで惨敗することは必至と見られているわけだが、この三社が5月末までに新素材を開発、投入しSPEED社に対抗するのはほぼ絶望的である。
これら日本の三社は自社のプライドがあるのかもしれないが、残念ながら惨敗してしまえば当然ながら消費者も「なんだSPEEDのがいいじゃん」とそっぽを向かれる可能性だってあるし、一部商品不買などの抗議行動にでるやもしれないようなことなのだ。
そしてどうしても日本製で・・・というのであれば、実はとっくに開発されている水泳着素材がある。
山本化学工業が発表しているものがそれである。
http://www.yamamoto-bio.com/yamamoto_j/sports.html
“魚の泳ぎに学んだ水着を開発”とは、サメ肌水着がでたときに「つるつるよりもすげぇんだ」と思ったものだが、さらに上を行くものを作ったということなのだ。
この製品もワイドショーなどでとりあげられていて、山本化学工業も「どうぞ使ってください」と日本メーカーに呼びかけているわけだが、メーカー各社のプライドがずたずたになるためまだどこも採用を決めていない。
だが惨敗してイメージが悪くなるよりも「国産水着を共同開発」かなんかでぶち上げて、さらに勝つことができれば日本メーカーの威信も保つことができるだろう。
むしろやっかいなのは山本化学工業が国外メーカーと提携し、それこそSPEEDと対抗するようなメーカーが発売してしまえば、当然ながら日本メーカーのプライドもなにもなくなってしまうだろう。
この会社であるが聞いたことがない会社ではあるのだが、ウエットスーツなどで有名な会社のようで、昔ダイビングのインストラクターをしていた従兄弟が知っていたくらい「知る人ぞ知る」会社のようである。
◇
サッカーなどではウエアの素材そのものでどうこうなるわけではない(余程トップレベルでない限り)のだが、水着はそのまま肌と水の間に入るものであるため、当然ながら重要なファクターとなる。
男子の競泳選手が全身タイツのように黒いスーツで覆われるのもまた不気味ではあるが、しかしこれは私が若い頃に「スポーツウエアはこうなる」というもので読んだことがあるものなのである。
筋肉を締め付け、空気抵抗や水の抵抗を減らし、疲れを軽減させかつ汗も蒸発させる・・・そんなボディスーツが未来のスポーツウエアなんてものであったが、水泳着はまさしくそうなったということなのであろう。
そういえば今年NSP CLUBでユニフォームを購入したのであるが、とにかく軽く、汗もすぐ乾かすので、疲れが軽減するという作用がある。
素材の進化というのはここ数年でもの凄く進んだわけであるが、その研究はナノテクノロジーと呼ばれている。
ただし安全性が全部保障されているわけではないので、なんでも新しければいいということではないらしい。
一昨日の巨人戦で木佐貫投手から頭部へのデッドボールを受け、球場全体が肝を冷やしたわけですが、次の打席でホームランをするという鉄人ぶりを発揮した。
私はこのホームランは狙って打ったのではないかと思っている。
ぶつけた木佐貫に心配をさせないためであり、ファンに自分は大丈夫だよというメッセージであったりということではないかと。
その意味で金本選手こそ「漢」であり、だからこそ鉄人と呼ばれる選手なのだと考えるのだ。
野球の話をほとんど書かないわけですが、セ・リーグは阪神、パ・リーグは北海道日本ハムを応援している。
実はね^◇^;
といいながらここ一年くらいはサッカーに力を入れているため、ラケットを握ることはないのだが、ラケットは同じものをびしっと揃えて大会にも出られるくらいである(笑)
そもそもテニスを始めたのは高校のサッカー部が弱くて、クラブチームでやっていたため学校から「部活をやれ」といわれたからである。
折りしもテニスブームと重なり、ビヨン・ボルグにあこがれ平日午後の火・木はサッカーの練習だったが、朝は早起きをしてテニスをしていた。
テニス部という枠組みを嫌い、結局は半年でやめてしまったのであるが、その後は河川敷のコートで知り合った人たちと作ったテニスクラブ(コートを札幌市から貸与していただいた形)から、成人の大会に参加していた。
サッカー以外でがっちりやったのは34歳からの3年間の野球と、この時期のテニスであることは間違いがない。
◇
ということで当然ながらテニスも好きになってしまい、女子の伊達公子の活躍というのはわくわくしてみていたものである。
世界トップクラスで戦うことのできる選手ということで、四大オープンのときなどは寝不足で会社に行ったものである。
そんな彼女がシュテフィを破った年に電撃の引退発表。
日本で杉山がようやく「まあ活躍した」というシングルスレベルしかなくなり(杉山のダブルスはトップクラス)、残念な思いをしていたのであるが12年ぶりに現役復帰をした伊達公子あらためクルム伊達公子は、選手としてというより若い選手のお手本として日本に必要な人だと思う。
夫のミハエル・クルムはGTなどのトップドライバーであり、こちらも大好きな私としては・・・といいながら、クルムってトヨタだったから嫌いだったんだけれど(例え友人でもトヨタに乗ると一切応援しない)現在はニッサンなので応援している選手。
まあトヨタに乗っていようとミハエルのキャラクターの素晴らしさは、サーキットのあちらこちらで聞こえてくるほど。
そんな夫の理解があり現役復帰をしたクルム伊達は、コートに苦しみながらもそのプレーを見せている。
なによりも彼女の活躍をぼんやりとしか覚えていないような選手や、平成生まれで彼女の活躍を知らない選手などにとっては、世界でトップクラスだったその精神力やプレーの持って生き方などを戦いの中で学んでいただきたい。
クルム伊達としても自分と戦った子供の中からもしトッププレーヤーが生まれたとしたなら、今回の現役は大変うれしいものになるに違いないし、彼女にとってそれが最大の目標かもしれない。
37歳で四大大会にて大活躍をするなど現実ではないわけであるが、ダブルスの中ででもできることはあるだろうし、彼女のヒッティングパートナーを務めるだけでも充分若い選手には勉強になるはずである。
今回の復帰は少しでも息を長く、そしてリラックスしてできることであろうから、ぜひ楽しんでいただきたいとも感じる。
男子では錦織圭という彗星が現れたわけで、松岡修三以来で最も期待される選手で、松岡以上の活躍をしていただきたいと願うばかりである。
そして女子でもクルム伊達に触発され、トップレベルへと上っていく若手が出てきていただきたいと願う。
そのためにもクルム伊達には頑張っていただきたいと考えるのである。
なんとT-1リーグの副審(A1)の割り当てということで言ってきました。
割り当てってなんだ?という方のためにどういう仕組みになっているのか説明しますと、毎年夏にS3級審判向けに割り当てをもらいたい審判員への講習会があります。
昨年はクーパー走と筆記テストでしたが、国立霞ヶ丘で行われました。
そして翌月から東京都サッカー協会から日程確認のメールが送られてきて、それに土日の予定を記載して送り返すと、スケジュールに合っていた場合に派遣審判要請の連絡がきます。
昨年は主にU-15の高円宮とTリーグが来ましたが、年明けに「東京都社会人チャンピオンシップ向け審判研修会」という案内がきたのです。
東京都社会人チャンピオンシップは、東京都サッカー協会所属の社会人クラブチームが選抜され、トーナメントをしていくものであり、東京都社会人サッカーのトップを競うものとなります。
その審判は全てS3級から派遣されているため、150人の審判員がその研修会に出席し割り当てをもらうためにテストをこなしていくのです。
テストの点数は隣の人が採点しているためあっさりとわかってしまうのですが、私は八割程度というぎりぎりのところでしたが、二月にA2と第四審判員の割り当てがあり、そこで認められれば二次戦(決勝トーナメント)の審判割り当てがくるというものです。
私は残念ながら二次戦の割り当てが来なかった(といっても決勝戦だけはなぜか7月)ため、S2級審判の推薦は受けられないであろうと考えられるわけですが、少なくとも上を目指す審判は派遣審判もこなしていくことになります。
そして来たのが4/3の駒沢補助競技場でのU-18 T-1リーグのA1要請であったわけです。
試合は『修徳高校 対 三鷹高校』というもので、mixiの日記にはちらっと書いたのですが古豪対今年の選手権ベスト8というカードの審判だったのです。
関東大会なども控えているため、残念ながら三鷹高校は背番号が20番以上の選手で、修徳の選手からみると当たりが弱く感じてしまう選手でした。
山中先生(三鷹高校監督)曰く「うちは層が薄いので関東大会に主力を」とおっしゃっていたそうですが、先生の考えるパスサッカーをしたいということは伝わってきました。
そして三鷹高校を圧倒したのは修徳の仕上がりのよさでしょうか。
なにせ縦へのスピードが速いし、DFの体は強く高さもあるのです。
地元葛飾の高校ですから修徳は応援していますが、今年の選手権予選はかなり楽しみかな?という感じです。
とにもかくにも、こうした試合の審判を担当できると言うのは、貴重な経験だと考えています。
◇
そして4/5は台東区チーム(NSP SIMBA)の練習に参加してきました。
プレーヤーとして登録して実際に出ているチームのひとつですが、最近は土曜日に少年スクールと、今年からチーム活動が始まるのでなかなか参加できていない状況でしたが、NSP CLUBの選手から審判証をあずかるため半分だけ練習に参加してきたという感じです。
◇
4/6日曜日はC級指導者講習会でいっしょになったFC町田ゼルビアユースコーチであるじんちゃんこと神野くんのお招きで、U-18 T-3の試合の主審を担当してきました。
T-1の下部となるわけですが、運営の違いはなるほど区リーグのような感じでした。
審判が持ち回りということなのですが、S4級の審判ばかりなのとコーチが審判をやってしまうと・・・ということもあるため、私がお手伝いをさせていただいたのですが、こちらも良い経験となりました。
今後NSP CLUB Youthを作る計画をしておりますが、当面の目標としてT-3参加というのは掲げるべきだと感じた次第です。
そういう公式戦を通してU-18世代にも真剣勝負の場所を作ってあげることにより、将来サッカーで何かをする人が生まれるかもしれませんし、なにより「がんばってやった」という記憶を残すことにより、その次の世代に何かを生んでくれるのではないかと思っているのです。
もちろんNSPクラブの指導責任者である高木もそのあたりを考えているのですが、彼はそういうことを軽々しく口にしませんが、それは立場の違いであり現場責任者としての口の重さだと思っています。
代表としての工藤はそれと違い、やはり上の目標を口にするのが仕事だと思っていますし、選手を集める、スポンサーを集めるためにはそういう目標を掲げていることを言わねばならないというのが本音です。
そしてまたそれを実は高木と工藤の間で話がついているから「本当の目標」というのがどこかにあるのです。
少々はなしがそれてしまいましたが、90分の審判は良い経験をもらう時間になりました。
そして・・・本当は別件で出かける予定だったのですが、トップチームの参加者が少ないことが判明し、あわてて浦安へと行って来ました。
しかも・・・・・選手としてです。
25分×4本にフル出場したのですが、最初の二本は9人で戦ったためよく動きました。
しかも慣れないディフェンスゆえ、普段は監督として偉そうなことを言っていますが、選手から叱咤されながらラインのあげさげやマンマークを行ったのです。
木曜日からの四日間で90分+120分+90分+100分と合計400分走り通した体は、昨夜へろへろになりましたが、好材料としては肉離れが完治したのを確認できました。
まあ最後の二本はマークしていた選手に振り切られるシーンがあったのもありましたが、それでもなんとか結果は一失点のみですみましたので、悪いイメージはなく練習試合を終えることができました。
43歳の体には非常にきつい四日間ではありましたが、良い体験をした四日間でもありました。
来週からはスクールとジュニアチームの練習がありますし、土日はまたまたサッカー三昧というところでしょうか。
4/13はFC町田ゼルビアユースの帯同として、T-3の主審を担当してまいります。
実はサッカーと同じくらいモータースポーツが好きで、この影響は父からもらったものではないかと思っています。
フジテレビが1987年に中継を行う前、年末の深夜にTBSで放送されていた子供時代から、眠い目をこすりながら見ていましたし、もっと小さいころは8mmで見ていたくらいでした。
私達の中学一年のときに第一回フォーミュラワン日本グランプリが富士スピードウエイで開催され、翌年の事故があり中止にはなりましたが、フォーミュラワンのブームが来ている時代でした。
マンガでも赤いペガサスやアニメでもグランプリの鷹など、モータースポーツを煽るものが流れていましたので、その魅力にひきこまれる子供達がおおい時でもありました。
ちなみに赤いペガサスは今でも愛蔵しており、たまに読んだりしています。
と・・・前置きが長くなりましたが、私はサッカーと同じくらいモータースポーツを愛しています。
(繰り返しになりますが(笑))
ロス・ブラウンという人はフォーミュラワンチームで知らない人がいないくらいの人物で、ウィリアムズでのメカニックとしてスタートしいくつかのチームのディレクターを経て、ミヒャエル・シューマッハがいたベネトン、その後移籍したフェラーリの活躍は彼に因るものであるのは間違いありません。
その彼が一年間の休養をしてフェラーリに戻るのでは?と言われていたのですが、14日にHONDA加入が報じられたのです。
HONDAというのは日本のモータースポーツ界では唯一の存在といっていい程のチームで、儲けるためにレースをしているのではなくHONDAという理念がスポーツとしての競技を遂行しているのではないかと思っている程なのです。
その姿勢が鈴鹿サーキットでありツインリンクもてぎであり、1964年にまだ二輪メーカーであったHONDAが自動車業界に殴り込みをかける準備としてフォーミュラワン参戦を果たしたのです。
もともと二輪の世界ではトップにたったチームでしたし、その常勝っぷりは今のmotoGPまでもつながっているのです。
英国のMVが1950年代に「やり残したことはない」とGPを撤退した後、その記録をほとんど塗り替えるという医業を達成したチームが、フォーミュラワンでどんなことをするのかと世界の注目が集まり(いくつかは「所詮二輪メーカー」とみていたでしょう)ましたが、結果として参戦二年目で優勝という偉業を果たすのです。
そこから今日に至るヨーロッパでのHONDAブランドへの尊敬が醸成されているのですが・・・って、思い切り話がずれている(笑)
HONDAとSUBARUにかける私の情熱は、半端なもんではないんです。
次にくるのはNISSANでしょうか。
なんせバイクは最初のRD400を除けば全部HONDAですし、ニフティでは「日本HONDA党」と名乗っていたくらいです。
で・・・なぜこんなに興奮しているかといえば、今年最悪といっていい結果に終わったHONDAに、ロス・ブラウンがディレクターとして参加するというニュースが、HONDAとブラウン氏の本気度が理解できるからです。
「ドライバーのせいで勝てない」とは言わせないというブラウン氏の発言は、現場はおいらが引き受けたという姿勢に他ならないでしょうし、ブラウン氏の加入によりHONDAへのマークは今年はなかったにも等しかったものが、来年は他チームからのさまざまな干渉を受けることになるのだろうと容易に予想できるのです。
それは三年前にフェラーリについでコンストラクターズ(製造者部門)二位になったあの年のHONDAへの細かいチェックで想像が容易くできるのです。
来年のHONDAが急激に復活するとは思っていませんが、ここ数年不振だったマクラーレンプロジェクトは色々噂されているとはいえ息を吹替えしましたし、それがどうなるかというのは誰も予想などできません。
ましてや知的所有権以上にブラウン氏を手に入れたことが重要で、来年からのHONDAに期待をしてしまうのです。
私には男の子がいません。
男の子が生まれたら三歳の誕生日にはカートを送ろうと思っていたくらいです。
それはHONDAエンジンと共にトップに翔けあがった私のアイドルであるアイルトン・セナにあやかってのものだったわけですが、女の子だけですので妻からモータースポーツは反対をされました。
まあ当然といえば当然ですし、女性でフォーミュラワンというのは非常に難しい世界ですから、そのプレゼントも当然ありませんでした。
今後NSPクラブが発展していく中で、やりたいことの一つにドライバーとライダーの育成というのもあります。
ただそれもこれもまずはサッカーで成功を修めなければならないわけで、私の夢はまだまだ続いていくのです。
今はまずサッカーを一生懸命頑張って伝えていきます。
