小学校の選手とその言葉について

昨日は一日審判だったのですが、いろいろ考えることがありました。

小学生だというのに審判にクレームを言う子供が増えたという事実です。
ある方向においては正しいことなのかもしれませんが、審判に対してクレームをこの世代で言うのはまだ早いと感じます。
ワンタッチアピールならそれは理解できますが、相手に対してハリー(急げ)というのも失礼なことですし、こうしたことをさせないようにするのがコーチだと思っています。

ところがそのコーチがいわゆる口が悪い、ずっと命令しているとなると話もちがってきます。
昨日のコーチや監督には命令しているような方はいらっしゃいませんでしたが、前に審判で行った大会ではそれこそキックオフから全部選手に命令している監督がいらっしゃいました。

「ほれそこで右へパス」「中へあげろ」「シュート!」・・・これでは子供達のサッカー頭が育ちません。
サッカーとは考えるスポーツであり、短い時間でどれが最適なのかを判断して実行するスポーツでもあります。
それを全部監督の思うとおりに命令し実行させてしまっては、サッカー頭は形成されません。
サッカーをするとむしろ頭がよくなるため勉強ができるようになるはずなのですが、こうした指導を受けたとしたならば「命令に対して従順」にはなりますが、賢くなるとはいえないでしょう。

それぞれのチームにおいて教える方のレベルの違いというのもあります。
それを嘆く必要はありませんが、例えお父さんコーチであっても勉強をしてサッカーを下の世代にきちんと伝えることができれば言うことはありません。
問題なのは自分の思い込みで「サッカーはこうだ!」とやってしまう人であって、それはお父さんコーチじゃなくても当然必要の無いことになります。

スキルとしてここまでというのはありますが、判断や考えというのには当然ながら「ゆとり」があるはずなのですが、それをどう作ってあげるのか、広げてあげるのかというのはチームの中の練習です。
スクールというのはスキルを上げるために行うのですが、最近はチームで結局その「ゆとり」を教えられるところが少ないようなので、スクールの中でそのゆとりをつくるための練習をしています。

ルックアップのタイミングであったり、一番ゲームが見やすいのはどこであるのか、サイドに追い込むときにどうやったら自分がより楽な感じで次に臨むことができるのか・・・教えることは山ほどあります。
それはたまたま私が良い指導者にめぐり合ったことが一番の理由です。
全ての子供がそういう指導者に当たることは難しいと思いますが、全てのサッカーに関わるコーチが「サッカーってなんだ」と考えるようになると子供たちへの指導がもっとよくなるのではないかと思っています。

昨日ふと20歳で最初にコーチを始めた札幌の八軒北のことを思い出しました。
正確にはそこでコーチをしていた遠藤先生とのことを思い出したということになります。
遠藤先生は練習はたいへんに厳しい方でしたが、試合ではポイントごとの指示しかしませんでした。
今思うと「ゲームは子供たちのもの」というのを徹底的に意識していらっしゃった方だと思っています。

私がコーチとして四年生を見させていただいたときに、どういう目標を持ってどうやっていくのかというのをポイントごとにチェックしていただきました。
自分が教えてもらったサッカーをまとめるのには本当に良い時間でしたし、自分もサッカーをやりながら子供たちと共に自分をサッカーを学ぶというのは私にとって必要な時間であったような気がします。

遠藤先生は私達が小学生のときに札幌選抜(トレセンなんてありませんでしたから)でお会いしたのが最初でしたが、本当にいろんな意味でお世話になった方です。
その後、高校の後輩なんかに聞きますと、トレセンで遠藤先生にお世話になったのがいたりして、遠藤先生の素晴らしさを聞くたびに、私は偶然八軒北小学校のグラウンドをのぞいていたのはなんてラッキーなことだったんだろうと思います。

「あれ?琴似中央にいた子じゃなかったっけ?」と声をかけてくれた遠藤先生がいたからこそ、今の自分があるのは間違いがありません。

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