ここぞというシーン

ここを決めておけば楽になるというのを、どんなスポーツでも見ることがあります。
特にサッカーにおいて一点というのはとてつもなく重いもので、他のスポーツの一点とはちょっと違うものだと感じることがあるのです。

さて、何の試合かというと今日観にいっていた東京ヴェルディ対コンサドーレ札幌の試合のことなのです。
決定的チャンスもシュートの数も、ボール支配率も上なのに負ける・・・その理由は本当にわかりやすいものだったと思います。
後半に入ってゴール前でのフリーでのシュートを三本はずした札幌と、試合を通して決定的ナッシューとチャンス三本のうち二本を決めた東京ヴェルディとの差が結局勝敗をわけたのです。

社会人の監督として私がよく言うのは「枠へ入れろ枠へ!」というものです。
枠をはずれたいわゆる惜しいシュートだろうとなんだろうと、枠へ行かなければゴールのチャンスはなくなります。
逆にコロコロだろうとなんだろうと枠へ行けば得点になるかもしれないのです。
ですから私は枠へ行かないシュートに対して「グッド」とか「ナイスシュート」ということは言いません。
応援のときも一緒ですから会場は盛り上がっていたとしても、枠へ行っていないシュートは次の展開を予感させないものであるため「ナイス」ではないのです。

それと今日の札幌というか、特定の選手なのですが気合が足りないように見えたのです。
それは私だけではなくスタジアムにいた多くの人が感じていたのだと思いました。
「なぜよらないんだよ」という声があちらこちらから聞こえたわけですから、その通りなのだと思っています。
それら全てが今日は札幌にうまくいっていなかったわけで、結果は2-1で東京ヴェルディの勝利となったわけです。

ヴェルディというか私にとって読売クラブというのはとても思い入れのあるクラブです。
ですが、今日の試合を見て思ったのはもう読売のサッカーはないと感じたことです。
成太にも電話をしましたが、2002年のヴェルディのときにも感じた(成太はボランチでしたから)ヴェルディのサッカーが、監督が川勝さんであるにも感じられなかったのはどこかさびしいことだと思っています。

確かに日本のサッカーというかスキルレベルは上がっているのですが、個性というかストロングポイントというか、平均よりある部分突出したようなそういう選手が減っているのはどうなのかと感じています。
もちろん私たちの子供のころよりも上手な子供が増えましたし、足下のうまい子供は増えたと感じるのですが、逆にみんな同じようなプレーに見えたり、プロサッカーでも同じサッカーをしているようにしか見えないのは、どこかつまらないものがあります。
もっと高いレベルで平均化すると、それはそれで楽しみもあるのかもしれませんが、Jリーグのレベルで平均化をしてしまうと、世界のトップレベルと本気で当たったときに勝ちきれないのではないか・・・そう感じることがあります。

一指導者として私はどう子供たちと接して行くのかを考え、自分なりの答えを出していきたいと思います。

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