審判とは奥が深いものなり

18日は台東区区民サッカー大会決勝トーナメント一回戦の主審を務めた。
まだまだS3級として「勉めた」というのが正解かもしれない。

私は比較的選手とコミュニケーションを取りながらゲームを進めるタイプの審判であるので、アピールとクレームが比較的少ないと考えている。
やはり審判の経験が少ないと選手と話をせずに黙々とゲームを進行することがあるのだが、選手が納得がいっていない状態でゲームが進んでしまってその感情が爆発することがある。
それをさせてはいけないのが主審の役割の一つでもあると考えている。

18日には同じ台東区連盟の二見さんというS3級のベテランレフェリーが外から見ていてくれたので、いろいろとアドバイスをいただくことができた。
自分では気をつけていると思っていても、やはりどこかが抜けてしまうというのが審判を人間がやっている限りありうることなのだろうと思う。
ただ、それを選手に納得してもらうためにも一生懸命選手とボールを見て、フィールドで汗をかきながら進行の手伝いをすることにより、選手も審判のジャッジを信用してくれるようになると考えている。

実は私はサッカーの時だけコンタクトレンズにしていて、例え打合せだとしても普段かけている眼鏡をかけないようにしている。
よほど目が疲れていたり痛んでいない限りコンタクトかもしくは裸眼にしているのだが、それは日ごろ顔を合わせるサッカー選手たちに「あの審判は目が悪いのだ」と思わせないためにしていることだ。
S3級の更新で講師に立った方が同じことをおっしゃっていたのだが、まさしく私は同じことを考えていて、選手に「お前は目が悪いから」と言わせたり思わせたりしないようにするために、なるべく眼鏡をしている姿を見せないようにしている。

まあここに書いてしまっているのでばればれであるが、私は乱視があり若干の近視であるため裸眼でもなんとかなる状態なのであるが、仕事の時にはそれでは目が疲れてしまうので眼鏡をかけているということなのである。
そんな程度の視力であったとしても、「眼鏡=目が悪い」と思わせてしまうのは避けなければならないと考えているのだ。

今日、18日に審判をして負けてしまったチームのホームページをみつけたのでリンクのお願いをした。
試合終了後に一人の選手が着替え終わって、ぼろ負けの状態であったにも関わらず「いいジャッジでした」とおっしゃった。
本当にそうなんだろうかと自問自答していたのであるが、リンクのお願いを代表の方にメールをしたところ「今年一番のジャッジでした」と返信をいただいたのである。
今年は派手に差がついた試合を二度吹いたのであるが、一度目は本部が「よく度胸を持っていいジャッジをしました」と言っていただき、二度目は負けたチームの方々からそう言っていただけたのは、今後の審判人生においての励みになるのは間違いがないだろう。

主審とはゲームをコントロールするといわれるのであるが、私は審判が目立たない試合ほどいい試合なのだと考えているため、主審がいるかいないかのうちに素晴らしいゲームが終わったと思われるような試合を経験してみたいと思っている。
まだ43歳、審判としては17年ほど都道府県では行うことができる。
その間に選手も、観客も、本部も、副審も、自分も「素晴らしい試合だった」と思えるような、そんな試合を経験してみたい。

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