与えられるということ

先日、こんなオヤジにもアセッサーがつくこともあり、またアセッサー(インストラクター)の先輩でもあるため、振り返りの後にご飯をご一緒することになりました。

そんな先輩からの一言「自分がやりたいと願ってもできないんだから、できるということは素晴らしいんだよ」というものでした。

この意味は、例えば東京都大学サッカー連盟主催の審判をしたいと思う人がいたとしても、まずは東京都サッカー協会にアクティブ審判員として登録をして、実力を認められ、必要な時に割り当てられて初めて審判をすることが可能となるということです。

私は東京都サッカー協会主催大会での主審をしたいと思っているため、S3アクティブとしての活動をしている部分があります。

ところが考えてみれば少なくとも年に数試合は主審の割当がこの20年くらいあるわけで、それを当たり前のように思っていました。

しかし、先輩の言葉と実際を考えてみるにつけ、登録しても務められない審判員がいるという事実があるのは、インストラクターになる前から知ってはいました。

その環境の中で常に主審割り当てをいただいていることに感謝はしていましたが、完全に初心を忘れていた自分がそこにいました。

今のレベルのレフェリー活動をあと何年しようかと考えて(というか、周りにはもういつまでと話をしています)いますが、その間自分ができる努力をして、競技者にとって楽しい試合が提供できるようにしたいと改めて思いました。

また現在と同じレベルでの審判活動はその時に終えるつもりですが、東京都サッカー協会の審判員不足を考えると、足りない時にお声がかかれば、またレフェリーとしてのお手伝いはさせていただきたいと考えるようになりました。

東京カップ(東京都の社会人天皇杯予選)のような大会は若い人や、上級を目指す人たちにまかせて、自分は足りないところに回ることができればと思っています。

私は今後後進に協力できる場所を主として審判活動をしていくつもりですので、環境が変わった際にもぜひ今までと変わらぬおつきあいをさせていただければと願っています。

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